カテゴリ:歴史
本能寺の変から3年後、秀吉は関白となり天正13年(1585)8月、越中の佐々成政の富山城を攻めました。家の近くには太閤山の地名が残っています。富山城を攻めるために造った城は、呉羽山の上にある白鳥城と山麓にある安田城です。
その後天下統一を目指す秀吉は石田三成を従え、越後の上杉景勝に会見を申し入れました。景勝は直江兼続を従えて、糸魚川の落水城(勝山城)で秀吉と会見しました。落水城は現代でも交通の難所である親不知の近くにあり、ほとんど整備されていません。裸同然の秀吉は討たれることもなく、上杉景勝との盟約が成立しました。秀吉49才、景勝31才、兼続と三成は26才でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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