今年は明治150年です。京都にある無鄰菴に行ってきました。ここは、明治・大正時代の元老山県有朋の京都における別荘です。庭園は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛が作庭したもので、緩やかな傾斜地に東山を借景とし、疏水の水を取り入れ、三段の滝、池、芝生を配した池泉回遊式庭園です。
秋の紅葉が見事でした。建物は,簡素な木造二階建ての母屋、茶室、日露戦争直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」の会場になった洋館の3つから成っています。明治36年4月に日露戦争直前の日本の外交のゆくえを決める歴史的な会合が、元老・山縣有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4者で行われました。当時、ロシア帝国は強硬な南下政策をとっており、満州のみならず北朝鮮でも勢力の拡大をすすめていました。総理大臣・桂太郎は、「ロシアの満州における権利は認めても、朝鮮における日本の権利はロシアに認めさせる、これを貫くためには対露戦争も辞さないという態度で対露交渉にあたる」、この方針への同意を伊藤と山縣から取り付けようとしたのです。
山縣有朋は陸軍司令官や総理大臣という役職を務め、明治という時代を築いた重要人物です。しかし大河ドラマ「西郷どん」では、賄賂政治で参議を辞めさせられたことが放送されていました。