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ラッコの映画生活

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2007.12.16
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カテゴリ:フランス映画
COMBIEN TU M'AIMES ?
Bertrand Blier
95min
(DISCASにてレンタル)

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この映画は時間がなくて映画館で見そびれてDVDをレンタル。今回はDISCASから送られてくるものを急いで消化しなければならず、睡眠時間3時間弱、その前夜が4時間、その前が3時間という体調的悪条件の中で見たのだけれど、かなり面白かった。1月にレビュー書いた同じブリエ監督の『私の男』と同じ作風、テーマを含んでいて、ああこれがベルトラン・ブリエなんだな~、と。彼独自のエクリチュールがありますね。そこでも書いたように(日本であまり人気がないこともあって?)他には見ていないのですが、多くの普通の映画ファンが期待する映画作りではないのかも知れません。DISCASその他で観客のレビュー読んだけれど、評価も批判も主演のモニカ・ベルッチに関するものがほとんどで(だいたいビラやDVDに書かれた映画の売りもそこにあったりして)、筋に関しては「ベルッチの肢体を見る映画で内容はまったくなし」なんて感じのものが多く、映画で考察・主張されていることはほとんど素通りされている感じですね。これはフランス人観客の感想にも少なくないけれど、それは我々が映画に期待するものと少しズレているからかも知れません(逆に批評家受けはまあまあ良いですね)。我々は舞台や小説なら受け入れることも映画では受け入れない傾向があるのかも知れない。それは完結した物語としてリアリティーをもって語ってくれることを映画に要求しているからだと思います。思うにブリエという監督は一種 "文学性" のようなところがある。以前レビュー書いた『読書する女』(監督は別)なんかもそうだと思うけれど、原作の小説としてはかなり面白く読めるものではあっても、映画にすると 荒唐無稽 だとか リアリティーがない とか わけがわからない とか人は批判するんですね。でもこういうあり方の映画は、そういうものとして見れば面白いと思います。

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パリの歓楽街ピガールかどこかの娼婦カフェにモニカ・ベルッチ演ずるダニエラという美しい娼婦がいる。そこに独り者の冴えない中年サラリーマンのフランソワが意を決したたかのように入ってゆき、ダニエラと交渉する。宝くじで四百数十万ユーロ(約7億円)当たったのだけれど、月10万ユーロ(←だったと思う)で金がなくなるまで自分と暮らしてくれないか、と。ダニエラは女として尊重して優しく扱ってくれることを条件に承諾し、荷物をまとめて早速フランソワとの新婚の蜜月のような甘い生活が始まる。フランソワの友人医師が言うように「雑誌のグラビアではお目にかかれても、実際に実物を目の前にできるような女ではない」豊満で美しいダニエラなのだけれど、そしてセックスも男を喜ばせる演技の入ったものなのだけれど・・・。金で始まった関係であり、どこからどこまでが演技で、また本心で、その辺は本人たちにも曖昧。

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でもそんな日々、普通(と言ってよいのだろうか?!!)の女の、まあブルジョワ道徳的男女観とでもいうか、そういう日々に彼女は我慢できずにある日フランソワには黙って元の娼婦生活に戻ってしまう。諦められずに再び娼婦カフェを訪れるフランソワ。瓢箪から出た駒 って言うのか、最初は金のための仕事だったものの、フランソワに優しく女として扱われ、愛され、いつの間にか男に愛されることをダニエラは知ってしまっていた。ダニエラは自分のものだというヤクザで女衒のシャルリー(ジェラール・ドパルデュー)とのやりとり等があって、賠償金(!)に400万ユーロ払ってしまえば残るは安月給のみ。それでもダニエラが自分について来るかどうかはこれまた疑問。原題は「どれだけ私を愛しているの?」くらいの意味だが、これはフランソワやシャルリー、そしてその他ダニエラに惹かれる男たちだけのことではなく、ダニエラの方もフランソワを愛しているのだろうか?、という問、更には 愛する とは何かという問をも含んでいるのだろう。ダニエラはベルッチの出身の通りイタリア女で、だからスパゲティーの毎日とか、階段踊り場に干された洗濯物、黒っぽい地味な服の妻ダニエラ等、戯画化されて描かれる。

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最後はややコミカルに終わるのだけれど、その成り行きと結末はこの映画を見るには知らない方が良いので書かない。この映画を見て感じたのは、ブルジョワ道徳的当たり前の男女観、夫婦観も、実は作られたものであるということだ。それには金と愛の問題もからまる。ちょっと辛辣なことを書けば、だいたいもともと "おんな" の魅力で男を誘惑し、夫が働きに出て稼いだ金で生活をし、夜はベッドでの愛を提供し・・・、というのは金で買われる娼婦とどこが本質的に異なっているのかという疑問。違いの一つは男を喜ばせるだけのセックスか自分も感じるセックスかの差ではあるのだけれど、そのことはこの映画のメインのテーマの一つとしても扱われている。同じ二人のセックスでも「車の中でするのは 一発やる(une baise)だけれど、夜家のベッドでは 愛を交わす(faire l'amour)」とダニエラに語らせているけれど、同じ二人の同じ行為を 正当なもの にも はしたないもの にも解釈づけるのがブルジョワ道徳の欺瞞だ。我々は得てしてリアリティーのあるストーリーを語り見せてくれることを映画に期待すると最初の方に書いたけれど、含意として何を監督が表現したいかというのを見るとき、こういう映画は面白い。このブリエ監督、人々が普通に当たり前としていることに疑問を提する作りはルイス・ブニュエルと似た面があるようにも思った。

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Last updated  2007.12.17 00:06:31
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