松本 正之(まつもと・まさゆき)さん
東海旅客鉄道(株)【東証1部:9022】社長
1944年三重県出身。名古屋大学法学部卒。67年、日本国有鉄道に入る。JR東海・新幹線運行本部総務部長、人事部長などを経て、2004年6月から現職。座右の銘は「自然体」。
国鉄民営化に際し、いろいろな圧力に耐えながら改革に取り組み、新会社では時速270キロ走行の新しい新幹線車両の開発などで、伸び悩んでいた輸送量の大幅増加に尽力。そして、リニアという次世代のシステムへ挑戦――。JR東海で陣頭指揮を執る松本さんが、40年以上にわたる鉄道マン人生を振り返る。
圧力に屈せず改革
私が就職した当時の国鉄には、安定的、公共的で、SLの男らしいイメージがある一方、開業したばかりの新幹線が新しい高速鉄道の時代を予感させ、魅力を感じていました。でも、入ったきっかけは、そんなに大したものではなく、友人に勧められたからでした。ちなみに友人は落ちてしまいました。
入社後、仙台鉄道管理局に配属され、見習いとして勤務しました。実習中は、SLに見習い乗務員として実際に運転したり、駅では、お客様に「久慈(駅=岩手県)に出る列車は何番ホームか」と聞かれ、午後9時に出る列車のホームに案内するなど、いろいろ失敗もしました。しかし、国鉄バスの角田自動車営業所長(宮城県)になった時、観光バスの利用者を増やそうと、近くの温泉へ行くツアーを作って積極的に売り込んだりした結果、対前年比6倍の集客に成功し、「官業による民間の圧迫だ」と他のバス会社からクレームが来たこともありました。
国鉄は1987年4月にJR各社に分割民営化されました。過去を否定する大改革だったので、その先に何があるのか見えず、その時随分迷いました。また、改革に反対する人は首脳陣の中にもいて、「このままだと君の将来はないよ」などと圧力をかけられたこともあります。しかし、巨額の債務を抱えるなど壊滅的な状態の国鉄をどうするのが一番いいかを考え、改革派の一人として歩むことを決意しました。
順調に雇用対策推進
覚悟を決めた後は、職員局雇用対策室長として約6万1000人の余剰人員に再雇用の場を提供することに取り組みました。改革の最大の課題とはいえ、私をはじめ全室員にとって初めての仕事であり、しかしその分、過去のしがらみがなく、仕事ははかどりました。大部分の人達を公的部門や民間企業などに再就職させることができ、同時に国鉄改革法案も、順調に成立しました。
民営化後は国鉄清算事業団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に残る予定で、当初、準備室次長の内辞ももらっていました。しかし、雇用対策が比較的早く進んだため、同事業団の雇用対策部長の数が減り、私はいらなくなってしまいました。そこで急きょ、JR東海に移る前提で、新幹線総局総務部長となったのが87年3月。民営化のまさに直前でした。(続く)
<メモ>JR東海
営業キロ数1970・8キロ。日本の交通の大動脈である東海道新幹線および名古屋・静岡地区の都市圏輸送を中心とした12線区の在来線を運営。昨年末に超電導リニアによる東海道新幹線バイパスの建設を発表し、国内外の注目を集めている。
2008年4月23日 読売新聞
バックナンバー
アメリカでさえ鉄道が復権する時代が来る - 2008年04月22日
関連サイト
JR東海 Central Japan Railway Company
東海旅客鉄道 - Wikipedia
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東海旅客鉄道(東京証券取引所)
9022 東海旅客鉄道(株) JR東海 NIKKEI NET 株価サーチ
株価 9022:東海旅客鉄道 - Infoseek マネー
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