カテゴリ:電気機器
『現場は「生野菜」、本は「豪華な料理」と思え』 ■過去の事例研究はいわば冷めた加工食品 子供の頃から、極端に言えば勉強は嫌いでした。勉強することはあっても、好きな数学ばかり。入社以降も、ごく普通の目線で生活しているだけで、何か特別な勉強をしてきたわけではありません。 もちろん、本や新聞を読んで知識や情報を仕入れることは日常的に行っています。しかし、本や新聞から学ぶのは、きれいに調理された豪華な料理を食べるようなもの。加工されたものなので、面白いがあまり役立たないという思いが少なくありません。 また、加工されているから、その裏側にあるものを読み取ることも必要です。常にそれを意識しながら本や新聞と接するよう心がけています。 (株)リコー【東証1部:7752】 近藤史朗社長 1949年、新潟県生まれ。柏崎高校、新潟大学工学部卒後、リコー入社。2000年執行役員、02年上席執行役員、03年常務取締役、04年MFP事業本部長、05年取締役専務執行役員を経て、07年より代表取締役社長執行役員。 そういう私にとって、いちばん勉強になるのは、なんといっても、いろいろな人と会うことです。会社なら現場のエンジニアと会って話をする、生産ラインで商品の組み立て、加工をしている人たちと話し合う。オフィス、販売店……さまざまなところを一生懸命、見て回っています。現場で、いま起こっていること、やっていることについて話を聞きます。そこで瞬間的に感じ取れるものは、料理にたとえれば生野菜。本当に新鮮で、美味しいと感じることができます。 私は趣味で家庭菜園を楽しんでいますが、うちの畑では大根がまっすぐに育たない。みな枝分かれしてしまう。どうしてだろうと悩んでいたら、隣の畑のオジイサンが教えてくれました。 「最初に肥料を土に撒いてしまうと、大根が根を伸ばしていくときに肥料に出合うたびに枝分かれしてしまうんだよ」と。 現場で起こっていることは、栽培中の野菜と同じで一つ一つが生き物です。それについては、やはり現場の人がいちばんよく知っています。 エンジニアというのは、どんな技術で何ができるかと、いつもいろいろ考えているものです。私も複写機のデジタル化の中で何ができるかということを常に考えてきました。ただ、それは机の前に座って本を読みながらではありません。大事なのは自分で体験することです。 社長になった現在、私は社員たちに対しても「自分たちがつくった商品を、最初に自分で使え」と言っています。「使って、使い方まで提案しなさい」と、うるさく言っています。自分たちがこれまでにつくったもの、経験したものの中からこそ、リコーのこれからの新しいビジネスも生まれてくるはずだと考えているからです。 経営のトップには、MBAの資格を持つ人や、若いときから将来の幹部候補として英才教育を受けた人も少なくないでしょう。しかし、私の場合はそういうものとは無縁でした。むしろ、それがよかったと思っています。ビジネススクールなどで学ぶことは、結局は、過去の事例研究で、いわば冷めた加工食品です。 また、経営書等を読んで、受け売りでものを言うのも、私は得意ではありません。ただ、社長就任が決まってから発表までの間に読んだドラッカーの著書にはおおいに感銘を受けましたが。 それはともかく、私は、常に新鮮な現場、実際の体験からこそ学びたいと思っているほうなのです。自分自身で動いて自分自身の手で直接得たものを糧にしたいと考えているのです。 しかし、生野菜だけ食べてベジタリアンになろうと思っているわけでもありません。人間の体を形成するには、さまざまな栄養が必要です。各種の成分を幅広く吸収しなくてはなりません。 「現場を担っている人こそいちばん知っている」と述べましたが、知っていることと未来をつくることとは違います。 現実を知っていて、その範囲の中で物事を回しているのと、この中から次にどんなことがやれるかと思考を飛翔させることとは異なります。後者のためには「勉強」だけではなく「研究」も大切です。 何が本質的な問題点なのか把握するには、やはり研究が必要になってくるのです。新しいものは、その研究の中から生まれてきます。 ゴルフでダフってしまうのを直すときに必要なのは、スイングそのものを直接修正することではなく、一見、無関係そうな、アドレスの位置を変えることだったりします。現場で直接学ぶことと、未来のための研究には、そのくらいの違いがあることもまた知っておく必要がありそうです。リコーでは現在、米国のサンノゼで、ある研究を進めています。どんなオフィスで働いている人がどんな行動をしているか、1日つきっきりで追いかけて分析しているのです。その中から問題点を探り、未来に繋がるビジネスを見つけようとしているわけです。 ■仕事から隔離して新人を徹底的に教育 若い頃、「師」と呼べるような人と出会ったことも、私にとっては貴重な勉強となりました。 リコーに入社以来、私は技術者として開発畑一筋でしたが、攻撃型の人間だったため、しばしば上司と激しくぶつかりました。仕事で衝突し、むっとしてしまうと、私はよく藤本栄さんという技師長の部屋に遊びにいったものです。入社6~7年目の頃です。 藤本さんは「天才」と呼ばれていた設計者で、「リコーフレックス」という二眼レフをつくった人です。私は9人兄弟の8番目で父親との年齢差が大きかったのですが、藤本さんはちょうど父親と同じ年齢。研究室に遊びにいくとお茶を出してくれました。 「アホ」「バカ」「やってられない」……。私がいつものように上司のことを愚痴っていると、あるとき藤本さんにこう言われました。 「近藤さん、他人に何をされたかを数える人生は寂しいよ。人に何をしてあげられるかと考えないと、いい人生は送れないよ」 これは、かなり衝撃的な言葉でした。そのような生き方をすぐに実践できたわけではありませんが、そういう思いを持たないと駄目だなと考えるようになりましたし、言葉の重みは年を取るほどに徐々に増してきています。藤本さんには人生の生き方を教えられました。 もう1人、技術的なことを学んだのは鈴木茂技師長(故人)です。2年間ぐらい一緒に仕事をしただけですが、複写機というものがどういうものかイチから教えられました。職場の2人の先輩との出会いに私は大きな影響を受けました。私の場合、調理された料理ではなく、目の前にいる生身の人間から多くの大切なことを学んできたと言えそうです。 新人の時代も同様です。私がリコーに入社してまず配属されたのはファクシミリの開発部隊です。そこは外部から中途入社した人が大部分だったので、先輩にリコー流を押しつけられることなく、比較的自由に、いろいろなことを教わりながら育つことができました。 モデムとはどんな機能を持ったものなのか、データ圧縮とはどんなことをしているのか、プロトコルというのは“挨拶”みたいなものだ……等々、デジタル時代の初期に、根本的なことを知ることができたのです。 ところが最近の新入社員は、理科系の場合、研究室出身でレベルは相当高いのですが、人数が多いせいもあり、入社してすぐ、まとまった教育も受けないまま現場に送られてしまいます。すると、配属先ごとにバラバラな教え方をするし、ソフトウエアの分野では自分が学んだ古いやり方を仕込んでしまう先輩もいる。新人の教育に、当たり外れが生じてしまう傾向がありました。 そこで、私は最初の導入教育はきちんとやらなければと考え、新人は1年間、仕事から完全隔離して徹底的に教育するようにしたのです。最新のソフト開発技法を外部の専門講師から学ばせました。それを毎年実施しています。4~5年経てば最初の“卒業生たち”が、新人のよき相談相手、指導者として育ち、さらに設計の核となってくれるという好循環が生まれつつあります。 この制度を導入したのも、前述したとおり、自分が入社したての頃、いい勉強をする機会に幸いたっぷり恵まれたという経験があったからこそです。 私は、比較的早い時期から製品開発のプロジェクトリーダーを任されました。30歳前後から20人程度のチームを率い、成功体験も少なくありませんでした。 しかし、リーダーのあり方を学ぶのは難しいものです。 その時期、学校の教員として多くの子供たちと接していた家内からは、こう注意されたことがあります。「人は褒めないと成長しない」。だが、それはなかなか実行できませんでした。 ■再手術もしたが聴力は戻らなかった 30代から40代にかけて、デジタルの立ち上げをやった頃が、自分ではいちばん苦しみ、かつ成長した時期です。私は、リーダーとして必死になってチームを追い込んで開発を進めていきました。 登山も私の趣味の1つですが、全く新しい商品を開発するのはチームでエベレストに登山するのと同じなのです。 山登りをしているかぎり、リーダーはパーティを生きて帰さなければなりません。つまり、開発に失敗するわけにはいかない。メンバーが、泣こうがわめこうが、ゴール到達を果たさなければならないのです。 あまりにも激しいリーダーシップのせいか、この時期、開発の中軸だった社員が2人、会社を辞めてしまいました。ショックでした。ずっとコンタクトを続けて、1人は3年後ぐらいには呼び戻せたのですが、もう1人は戻ってきませんでした。その頃になってようやく、随分昔に言われた家内の言葉を思い返したり、藤本さんの教えを改めて噛みしめたりしたものです。 無理を重ねる働き方を続けていたせいか、私自身の人生にも大きな変化が生じました。2000年になるちょっと前のことです。複写機開発の最先端を引っ張っている時期、右の耳が突発性難聴になって急に聞こえなくなってしまったのです。後に再手術もしましたが、聴力は戻ってきませんでした。 部下には同じような体験をさせてはいけない。つくづく、そう思います。以後、残業しなくてもちゃんといい商品ができるように、プロジェクトマネジメントをどんどん改善しています。 いまはNHKの「プロジェクトX」に登場したような開発の仕方とは時代が違います。 たとえば複写機の場合、一機種の開発のために500~600人という多くのエンジニアが必要となってきます。各自が自分の担当を受け持ち、同時に働いています。それだけ製品が複雑になり専門性が高くなっているのです。 これらの人材を通し、リコーはいま、ハードだけの会社から、そのうえに乗っていろいろなサービスをお客様に提供する、つまりソフトウエアをお渡しする会社になりたいと思っています。ソリューションまで提供できる会社……。 ソリューションと言い始めると、1つの産業にとっては、歩みが一回りしたと思っていい。コンピュータの世界では1つの階段を上りきったということです。次にどんな進化を遂げるのか、私はとても楽しみにしています。 プレジデントロイター - 2008年11月21日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月20日 15時28分45秒
[電気機器] カテゴリの最新記事
|
|