2009-B
2009年東京西部その2(1畝)今年は林業を学ぶ年とし、畑は基本的に種の更新用のみとした。山仕事のあいた時間に片手間で作業したため、あまりケアできていない土地B(山土に落ち葉の堆肥をまぜ、直前まで2年ほど耕作していた土地。東に丘があるがその他日当たりは良好。風通しもよい)6月13日小豆、黒豆、ささげ豆、綿種まき綿は雨の多い日本の気候にあった、下向きに花の咲く和綿をまいた和綿は繊維が短い。産業革命で有名なイギリスの自動織機は繊維の長いインド綿用。このため明治に変わった時産業界から綿の輸入自由化を要求され、それまで大阪平野などでさかんに栽培されていたのが、明治29年(1896)の自由化後2年で壊滅した。7月7日 晴れ粟、黍、稗、高黍種まき里芋、ヤツガシラ、うこん植え7月11日 晴れ里芋、ヤツガシラ、うこん植え8月3日 曇り粟、黍、稗、高黍の除草、間引き、土寄せ里芋、ヤツガシラ、うこん除草、土寄せ8月8日 うす曇りささげ豆の支柱立て雑穀の丈はまだ40cmくらいで成長が悪い(特に粟は20cm程度)里芋類も小さい8月23日 晴れ雑穀の防鳥ネット張り雑穀の出来は悪い。やはりまくのが遅すぎたか(以前栃木でも7月にまいたが、このときもあまりよくなかった)高黍は1.5~1.7mだが、黍、稗は1.2mほど、粟は50cm程度豆類、綿の出来はよい9月3日 晴れ台風がかすめたため、ささげ豆の支柱が強風で倒れ、修復ささげよく茂る綿も1.5mを越えてきたので芯を摘む。花が咲いている9月19日 曇り黍、稗収穫雑穀はネットを張ったが、網の修復を完全に行わなかったため雀にかなりやられる(稗はほとんど全滅に近い)。茨城北部で狭い面積(今回よりは広い)で作ったときもネットを張ってかなりやられた。地元のおじいさんが、雀が穴を探して入っていると言っていた。広い面積をやる場合は、ネットの網を完全に修復せずとも問題ないが、狭い場合は完全に穴のないようにしないと被害が大きい。黍稗とも、雀にやられなければ、遅まきにしてはまあまあの実りだった里芋、ヤツガシラ、うこん葉が大きく伸びる黒豆や小豆、ささげもよく茂る綿の花がさかんに咲く。背丈の伸びたものの摘芯をする畑を貸してくれたおじいさんの話では、ネットの中に20羽くらい入っていたという。もっと目の細かい網でないとだめだとのこと。10月10日 晴れ粟、高黍収穫高黍の出来は(遅まきにしては)まあまあ粟は途中虫が出たようで、茎の途中でかじられ折れた株が多い。今までで最も南の地のため、アワノメイガが出た可能性がある。このため出来は非常に悪い雑穀畑整理11月5日 晴れ小豆半分、黒豆半分、ささげ全部収穫小豆の出来は今まで(茨城)と変わらず黒豆は粒数は変わらないが多少小粒ささげはかなり実った(茨城より好く出来た)はじけた綿の実を収穫綿の実がつくと、茎がしなって倒れてきたため、防鳥ネットの支柱を支えにする11月15日小豆、黒豆残り収穫里芋半分収穫。出来は通常と同じ、芋が大きく良い芋だと言われるはじけた綿の実を収穫11月21日 晴れ里芋、ヤツガシラ、うこんを収穫。出来はよいはじけた綿の実を収穫綿は次々に花が咲いては実がつき、それがはじける。収穫が遅れると綿の部分が地面に落ちてしまう。出来は非常によい。12月1日里芋収穫はじけた綿の実を収穫12月12日ヤツガシラ収穫はじけた綿の実を収穫芋、豆畑整理12月27日人にあげるため片隅に残してあった里芋、ヤツガシラ、うこんすべて収穫はじけた綿の実をすべて収穫畑整理7月まきは雑穀にとって遅すぎる。最低6月中にはまくべき里芋、ヤツガシラ、うこんは茨城では4月に植えたが、7月に植えても間に合うようだ防鳥ネットについては、狭い面積の場合は集中して鳥にやられるため、もっと目の細かい網を空きのないよう注意して張ったほうがよい粟の虫(おそらくアワノメイガ)の発生は問題。以前関西の農家の人が、粟はどうしてもアワノメイガが出るから農薬漬けでないと作れない、と言っていたが、これまで群馬栃木茨木ではほとんど出なかった。東京西部は、無農薬の南限を越えているかもしれない綿の出来がよいのは、土壌があっていたためか日当たりのせいか不明。芋の出来を比べた場合、土地Aと比べ養分が多いとも思えない脱穀と干しについては量が少なく自宅で行ったため特記せず写真はこちら東京西部