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テーマ:ニュース(99411)
カテゴリ:時事問題
急増する失業者に対する対策として介護や農業の分野が注目をあつめているという。
高齢化など今後の問題を考えれば重要な分野であり、無駄な公共事業で失業を吸収するよりはよいことはいうまでもない。 それでもこの二つの分野を失業対策の切り札とすることには疑問を感じる。 それはこうした発想の根底にある問題認識というのが誤っているのではないかと思うからである。 ※ 派遣が切られ、多勢の人が失職した・・・何が問題なのだろうか。 それは失職して住居や職を失うというだけでなく、派遣という選択肢しかなく、しかもその待遇が自分の生計すらろくにたてられないものだということが問題なのではないか。 こうした派遣の待遇の低さは残業漬けで過労死やうつ病寸前の正社員の待遇ともパラレルである。 だから問題の解決のためには雇用法制や労働政策のあり方からして見直さなければいけない。 それなのに、介護や農業の職業紹介を対策の目玉とする発想には、失職だけを問題視し、職がないのなら今まで人材難が叫ばれていた職種を提供すればよいという安易な発想ばかりがみえかくれする。 腐った林檎しか食べられなかった人が林檎をなくしたといって、それまで誰も食べたがらなかったような更に腐った林檎を差し出すのと同じではないか。この「腐った」というのはあくまでも労働条件についてであって、仕事の内容や仕事についている人についていっているわけではないことは当然であるのだが・・・。 派遣も仕事があれば、あえて介護の仕事に転職したがる人はそうは多くなかった。 ※ 介護や農業の職場自体を提供することは必要なことだと思う。 ただし、真の問題は派遣労働のあり方にあることを思えば、雇用法制や労働政策の見直しは不可欠であるし、介護労働者の処遇改善についても議論が必要であろう。 失業対策に介護をいう議論は聞こえても、肝心の介護労働者の待遇改善についての実質的提言があまりきこえてこないのは不勉強のせいなのだろうか。 ※※ 最後にこの前見た昭和を回想するテレビ番組で興味深い映像があった。 売春防止法制定の議論で、反対論の中に「売春を禁止したら売春婦が路頭に迷う」というのがあったという。 なにやら派遣を規制したら派遣労働者が失業するという議論とよく似ている。 人は人間として生きるに足るだけの生を全うするためにこの世に生まれてくる。 憲法25条の生存権というのはそうした発想にたった条文であろう。 月収10数万円の使い捨ての派遣労働者もアフリカの貧困よりもマシという発想は、ちょうど売春防止法制定当時の、人間の尊厳を奪われた奴隷のような売春婦としての人生でも飢え死によりはましだろうという議論と重なって見えてしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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