関ヶ原の合戦では農民が武士たちの戦いを見物していたという話がある。別に出典があるわけでもないので、そういわれている…というくらいなのだろうけど、刀狩、兵農分離の後は戦は武士のやることで農民には関係なかった。そしてやがてやってくる太平の時代。
今と比べれば、もちろん生活は貧しくよい時代ではなかっただろう。疫病、餓え。そうした恐怖だって身近だったに違いない。けれども戦の恐怖はなかった。戦の恐怖というのはつきつめていけば、誰とも知らぬ相手に殺される恐怖だ。そうした意味で、その一点だけでも、江戸時代は戦国の世よりはましだった。
明治期になり、徴兵令がひかれたとき、あちこちで徴兵反対一揆が起きたという。明治時代は文明の恩恵が広がっていった、よい時代だったのかもしれないけど、庶民にとっては、「戦争」という不安が加わった時代でもあった。日清戦争、日露戦争、第一次大戦、シベリア出兵と近代日本では大小さまざまな戦争があった。手や足を切断したり、目が見えなくなった戦傷者も、けっこう身近な光景だったのかもしれない。そういえば小生の中学や高校の頃も人込みにはよく傷痍軍人がいて、新宿デパート前の大通りには片手片足を失った白衣の傷痍軍人がいたことを覚えている。
遠野物語といえば牧歌的な民話集という印象があるのだが、そこにも、日露戦争で村の若者が何人も戦争に行った話が出てくる。村人は戦場にいる家族の無事を祈って影膳を備えたという。
今の世にも様々な不安や悩みを持つ人がいるが、それでも戦死や戦傷病の不安がなく、日々を送れることがどんなにありがたいことか…。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう