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カテゴリ:雑感
よく日本人は三つのものを過大評価していると言われる。
国連、ノーベル賞、そしてオリンピックである。 このオリンピックについてはずいぶんと認識が変わった人が多いのではないか。幻想が醒めたわけである。「感染状況がどうあろうとオリンピックは開催する」というIOC委員の発言には、日本人が何人コロナで死のうが重症になろうがオリンピックには関係ないというわけで、たぶんこんな発言はIOC委員の母国の開催だったらしないにちがいない。総理や担当大臣の開催するか否かはIOCの判断という発言にも、おいおい、国民の感染症対策に責任を持つのは日本の政治家ではないのか、IOCはGHQなのか…と突っ込みをいれたくなる。 まあ、オリンピックが開催されるとして、今後、考えられる可能性は三つある。 一つは感染爆発し、文字通りの「変異株五輪」となった場合。この場合でもすでにゆるゆるの入国規制で変異株も入っているだろうし、予選だの事前合宿だのもある。感染拡大も五輪前にすでに起こるだろうし、政治や都は決して五輪と感染爆発の因果関係は認めないだろう。 二つは恐れているほどの感染拡大が起こらなかった場合。コロナの予測は専門家も外しているので、この可能性ももちろんある。不安があれば人はますます用心するし、オリンピックの与える不安感がプラスに働くかもしれない。 そして三つめは感染はどうであれ、9月ごろにはさすがにワクチンもかなり普及し、それが効果があって、社会の不安感はかなり和らいでいるという可能性である。 いまさら、五輪を中止しても、感染者数が急減するとも思えず、政府は第二、第三の可能性にかけているのかもしれない。 最後に五輪の後にきっと起きそうなこととして、国民の多くはオリンピックにも競技スポーツにも、かってのように熱狂することもなくなるのではないか。多くの人が金、利権まみれの内情を知った以上、「元気を与えたい」だのといった上から目線の言説にもうんざりしていると思うから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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