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カテゴリ:旅
この週末に東北に行く機会があった。 印象に残ったのは白虎隊終焉の地の飯森山。付近には大型バスの停まるスペースはないので、今回のような自動車の旅でないとなかなか行けないところだ。狭い階段がはるか頂上まで続き、両側には土産物屋が並ぶ。白虎隊の話は有名だし、古くからの観光地という雰囲気がある。 この階段を上るのはかなり大変…と思うのだが、脇にはスロープの動く歩道?があり、「上まで階段で行くのは本当に大変です。どうかこちらを利用ください」とさかんに勧めている。みるとほとんどの人はこのスロープで上まで行っているので、大勢に従うことにする。こうしてあっという間に楽々頂上につくと、会津若松の街が眼下に見える。白虎隊の少年戦士達は、ここから火災の炎をみて城が落ちたと思い自刃したという。そうした白虎隊の墓と大河ドラマで有名になった婦女子隊の墓があり、彼らの忠烈を称える碑もいくつかある。なぜこれほどの激戦が行われたのだろうか。 江戸時代は平和が続いた時代だが、それ以前の戦乱の物語は、当時の人々は今の人以上によく知っていたことだろう。源平合戦では平家方は徹底的に滅ぼされ、鎌倉幕府滅亡では北条氏が同様の憂き目にあった。会津藩は徳川秀忠の御手付きで生まれた庶子を藩祖としており、幕府への忠誠心や一体感はことのほか強かった。戊辰戦争は当時の感覚では徳川対反徳川の戦いで、負けたらどんな酷いことになるかわからない…そうした恐怖心が少年までも巻き込んでの総力戦になったのだろうか。 戊辰戦争の記憶が新しいうちは白虎隊も朝敵方の無謀な戦法としてみられていただけだが、維新の記憶が薄れ、日本が軍国主義に進むにつれ、忠義の模範として美化されていったように思う。飯森山山頂にいくつもある碑はそうした時代のものなのだろう。そしてその中に一つ、洋風のものがあり、解説をみると、昭和初期にイタリア政府が白虎隊の忠義に感動して贈って来たものであり、石柱の材料もイタリアの大理石だという。三国同盟の前であるが、当時のイタリアはファシスト政権である。こうした話は日本人のだれかが美談として海外にまで喧伝しなければ、知るところにはならなかっただろう。朝敵から忠義の鑑へと…白虎隊をめぐる日本人の意識の変遷も興味深い。 戊辰戦争は会津も含めた東北では激烈な戦闘があり、会津市内には戦死者の遺体が放置されていたというが、大変革の割には全体で見れば死者の数は少なく、生き残った敗者も新政府を担う人材として登用された。白虎隊の中で生き残ったという人物も、官庁の技官となり、近代日本の建設に貢献した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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