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カテゴリ:雑感
世の中にはなんでも「右」とか「左」に分けたがる人がいる。自民党のある議員がX投稿で、離婚後の子どもの養育に関する制度の見直しに関し「法案を議論する有識者会議に極左活動家を入れているようでは絶対にダメです。公安の協力を得て、締め出せ」との意見を法務省に伝えたという。こうしたことの背景には、一部の人々が共同親権導入については、慎重派を「左」と呼んで非難していることが背景にあるのだろう。 人生が様々であるように、夫婦の形、そして離婚の形も様々である。DV夫や妻にたかることしか考えない夫もいれば、養育費を払っているのに子供と自由に会えないことに不条理を感じている夫もいる。様々な事例があることを念頭にいかに弊害の少ない制度を構築していくかが重要であり、これは「右」とか「左」とかとは無関係の話だろう。重要なのは、個々の家族、特に子供にとってどんな制度が一番望ましいかということではないのだろうか。 右とか左とかいう言葉とともにリベラルと言う言葉もよく使われる。リベラルとは文字通り自由という意味で古典的な伝統からの自由ということを意味する。この意味では、夫婦別姓や同性婚の問題などは、伝統からの自由というリベラルなのであるが、じゃあ、はたしてリベラル≒左というのはどうなのだろうか。どうも違うように思う。 一説によると右というのは内外で分け、左と言うのは上下に分ける思考法だという。そうかもしれない。右は自民族や自国民とそれ以外を分け、左と言うのは強者と弱者、富裕層と貧困層で分けるという思考が顕著だ。そうしてみると、夫婦別姓や同性婚は左というのとはあまり関係なさそうに見えるし、実際、関係ないだろう。選択的夫婦別姓導入の議論は財界からも起きている。 世の中の問題は複雑でひとすじなわでいかないものが多い。こうした問題について、なんでも「右」と「左」に分け、罵倒するのはあまり生産的ではない。 共同親権の問題だけでなく、原発の問題、安全保障の問題なども然りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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