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カテゴリ:雑感
冠婚葬祭についての世の中の変化は激しい。特に、葬式については小規模家族葬が一般化しており、セレモニーホールの数は増えたが、ほとんどが家族葬を想定したものである。それでも今亡くなられる方は兄妹も多く、親族つきあいも密接だった世代が多いのかもしれないが、これからは葬儀なしの直葬というのが一般的になっていくのかもしれない。 このように葬儀の方はどんどん簡素化しているのに対し、結婚式の方はそうでもないようだ。出席する親戚の範囲とか職場関係の範囲というのは、昔に比べて少なくなっているのかもしれないが、ただ、それでも、新郎側が何人呼ぶので新婦側も均衡上何人よばなければならないとか、友人は何人以上呼ばなければならないといった感覚はまだ残っている。そうなると、呼ぶべき親類や友人がいなくて困る人が出てくる。そのために親類の代理、友人の代理を派遣するビジネスがあると聞いていたが、これを実際に検索してみるとそうした代理派遣業者がいくつもでてくるので驚く。こうしたサイトには利用の申し込みばかりでなく、スタッフ、つまり代理出席する側を募集する欄もあり、隙間時間でも出来、おまけにけっこうな高収入である。たしかに一見よさげなバイトなのだが、よく考えてみると、着ていく服などは自分持ちなので、招待客に見せるためには金もかけねばならず、それほど手元に残るような感じはしない。それにこうした代理出席は、ばれないですむのだろうか。親戚の代理で行って、別の親戚から話しかけられたら、すぐにわかってしまいそうだし、友人代理についても、本物の友人から話しかけられたら、嘘がばれそうである。なかには円テーブルを囲む友人全部が代理という場合もあって、これはその場ではバレなくても周囲からはわかるだろう。そういうのは全員ドレスの色かぶりなし、みんな黙って食べるだけ、式が終わるとさっさと帰っていく…どうみても異様である。 それに、新郎新婦が両方とも代理出席を了解しているのならよいが、そうでない場合には、相手に対する不信感につながるだろう。結婚式など、親戚が来ないなら来ないでよいし、友人もいないならいないでよいではないか。来てほしい友人は遠方に転勤中だとか体調が悪いとか言った嘘の方がまだましである。葬儀の方がこれだけ簡素化しているのに、結婚式については、いまだに数合わせで悩んでいる場合があるのが不思議である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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結婚式で見栄を張りたい、葬式で見栄を張りたい需要としてはどっちもあると思いますよ、なので葬式にも参列代行ってサービスはありますし、日本ではあまり見なくなりましたが、韓国や中国では哭女っていう葬式で泣くという商売があります。
ただ葬式の場合はコロナで家族葬という形式が一般化し見栄を張らなくてもごまかしがきくようになったってのはあると思いますよ。 結婚でも式はせずに籍だけ入れるって人もいますよね。 個々人の考え方でしょうね。 (2024年04月11日 23時27分15秒)
葬式については盛大な葬儀が幸福な人生のフィナーレだなんて思う人はいまどきいないでしょう。長命であれば職場関係や友人もほとんどいなくなりますし、家族葬の普及も長寿化が背景にあるように思います。
これに対して結婚式はいまだに誰をよぶかで悩む人がいるようですが、結婚式が簡略化しないのが不思議です。それでも親類とか職場で呼ぶ範囲は少なくなっているようですけどね。 代理出席のバイトも、すきま時間でホテルで座って食事をするだけで一万円近く貰える…というとかなりよさそうですし、ここで書くネタも入りそうなのですが、衣装やそれ相応の準備も考えると、そんなによくなさそうですね。友人役でスピーチまでする人もいるといいますが、どんな人がやっているのでしょうか。 (2024年04月12日 07時44分32秒)
七詩さんへ
>盛大な葬儀が幸福な人生のフィナーレだなんて思う人はいまどきいないでしょう。 まあ故人のためっていうよりは、生きてる親族の見栄でしょうね、 で、結婚式の場合はそれが両家ってことになるんで、両家は対等って意識が働くんでバランスってのが出てくるわけですよ、 新郎、新婦側の片方の親族が多く、片方の親族が少ないとバランスが取れないんで、じゃあ代行でってことになっちゃうわけですよ。 身内の葬儀にこれだけ人が来てくれるんだって思ってもらいたいって見栄なんだけれど、それが家族葬だからっていう言い訳で参列者が少ない理由にできるんで、まあ家族葬でいいじゃないかって選択をすることが増えたわけですよ。 っていうかそれもなんだか付き合い上の義務みたいになってるところがあったんで、コロナで無理にそれをやらなくていいってことになったら、それでいいってことに気づいちゃったわけですよ。 結局のところ「故人のためにこれだけのことをしてやったんだ」って自己満足でしかないんですよ、それを故人が望んでいたかどうかは別問題です。 葬儀ってのは宗派によって考え方があるんだけれど、真宗なんかだと故人のために「してあげる」ものじゃなくて故人の縁を通して生きている我々が何かに気づくきっかけににする場って考え方がありましてね、私はその考えに賛成です葬儀なんてものは「してあげる」ものじゃあないんですよ。 まあこれは生前の介護や治療にも言えることなんだけれど、「してやった」なんて感情が先に立つのは自己満足ですよ、ここまでやってやったんだから幸せだっただろうって思いこみたいだけなんですよ。 家族葬ってのは「ここまでやらなくていい」って選択肢の一つにはなったと思います、 (2024年04月13日 06時22分28秒)
>このように葬儀の方はどんどん簡素化しているのに対し、結婚式の方はそうでもないようだ。
日本人は否、日本人に限らず人間は基本的に祭り事、イベントは好きで、若い人が自分の人生で最大の祝い事となる結婚式を、多くの人に祝って貰いたいと思う事は時代を越えて人として極めて自然で真っ当な事です。 オリンピックはスポーツを通して、万博は産業振興を通して、世界の文化、健康、暮らしに寄与する各々世界の恒久的平和に最大に貢献するイベントです。 それを偏向マスコミ、野党は寄ってたかって、日本が世界に平和・産業・文化・スポーツで実質的に貢献することは一切してはならない、日本は永久に敗戦国として、日陰者としてあらねばならないと、みっともなくも日本ファーストに資さない万博は今からでも中止せよとの、無責任我まま放題の朝日新聞等の連日の記事、そしてそれに踊らされる付和雷同の民たちを見るにつけ、日本人よ人間の大道を洞察する知的レベルを上げよとの思いが募るばかりです。 。 日本人は枝葉末節、揚げ足と入りだけのマスコミに踊らされ、小さく小さく矮小に纏まろうとする事をいい加減に止めて、無限の天空へ、未知の世界へと今こそ大きく羽搏く時でしょう。 結婚式は二人だけがよければよいという矮小な事ではなく、真っ当な自立した責任ある社会人として、世に新たな一歩を踏み出す大きな門出です。 結婚式は一個人、日本国、人類にとって大いに祝福されて然るべき。祝い事であることは云う迄もない事でしょう。 (2024年04月13日 12時59分27秒)
:追伸
付け加えれば、老い先短い老人たちが、これからの結婚を契った未来のある若者たちに、葬儀が簡素になったのだから、結婚式も簡素にした方がよいなどと、若者の夢を蝕む、手前勝手な押し付けをしない方が賢明と云えるでしょう。 (2024年04月13日 18時01分09秒)
>このように葬儀の方はどんどん簡素化しているのに対し、結婚式の方はそうでもないようだ。
現実的には、全体的に見れば結婚式も簡素化しているし、二極化しているだけだと思いますね。それでも、代行の需要がある理由がいくつかあると思う。 そもそもの前提として、冠婚葬祭というのは、元々、純粋に死者を悼むとか、結婚を祝うという意味合いよりもむしろ、それを通して一族の結束を強め、家の弥栄を対外的にアッピールするアナウンス効果を狙った物であります。ですから、そういう需要が薄れてくれば、どちらも簡素化少人化は物事の道理というもの。 そしてまあ、次のポイントで言えば葬式と違って結婚式は、相手のある事ですので、相手とのバランスという感覚は当然に出てきます。それこそ最近は簡素に式をすませてそのまま旅行というのも一般的になってきている中で、敢えてうん百万のボッタクリ価格払ってまで式したいような連中は、当然に体裁を気にするでしょうよ。ボク個人の事で言えば、家の為に式をしてやったという感覚しかない。 最後に、結婚式というのは我々の親世代から家から出すという風習はなくなっていたが、葬式はまだ我々が子供の頃は、家から出すのが当たり前でした。農村共同体文化が希薄になり、農村でも都市化が進んだ時代、主婦にとって他人に手伝いと称して家に入られるのは、大きな苦痛であったのは、子供ながらによく覚えています。 ですから、葬儀会館は家族葬でなくても、そういう需要を汲んで一般化しましたが、逆に結婚式は金銭面以外には、それ程苦になる事ではなし、祝い事をケチると、あとがうるさいという日本人の心理もあったのでしょう、そのあたりが差異になっている様にも思います。 (2024年04月13日 18時50分23秒)
ふぁみり~キャンパーさんへ
家族葬は急激に普及していっているのに、家族披露宴はあまりすすまないのはなぜなのかと思います。しかし、考えてみると、葬儀の方は長寿化でなくなる時にはいまさら職場の人や友人でもないだろうし、兄弟数も少なく親族の付き合いも密接でなければ、親戚もよぶ必要がないという場合が多いのに対し、結婚式はそうでもないし、昨今では新婦も社会的活動を続ける場合が多いのでその関係者もいるということなのでしょうか。 それでも、職場関係や親せきは結婚式でも少なくなっているようですが、友人関係というと悩ましいですね。 結婚式はやらないという人も知っていますが、新婦の要望で結局はやったという場合が多いようです。 (2024年04月14日 07時52分01秒)
・曙光さんへ
結婚式はもともと共同体の中で結婚を認知させる儀式だったのでしょう。結婚式をあげないと日陰者みたい…と言うわけで、特に新婦の側が結婚式にこだわるのもわかります。ただよぶ範囲は悩ましいし、双方の家族だけでというのも一つの考え方でしょう。 (2024年04月14日 08時00分00秒)
鳩ポッポ9098さんへ
そうですね。納棺師というのがありますが、地方によって違うのかもしれませんが、ああいったことは昔は家族や親族でやりましたし、葬祭業者というのもなかったように思います。お寺の某さんと親族、それに近隣だけで済ませていました。それが急速に外部化がすすみ、長寿化で本人の友人や職場関係ももういないという場合が多くなったので、小規模化がすすんだのでしょう。 結婚式も外部化がすすみましたが、ホテルなどのドル箱になっている上、葬儀と違ってこちらは「招待しなければ悪い」という心理が働くのでなかなか小規模化しないのでしょう。それでも、結婚式をやらない人やごく小規模でやるという人は増えていると思います。 (2024年04月14日 08時08分41秒) |