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2024年04月16日
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カテゴリ:読んだ本


実はこうした一般向けの数に関する本を読むのが好きだ。
だいたいは図書館で借りるのだが、それは途中でついてゆけずにリタイヤした場合(こういうことは多い)も金銭的な後悔はなくてすむ。
あの「博士の愛した数式」は小説も映画もいまだに傑作だと思っているし、ユーチューブにもこの分野の解説ははいてすてるほどあり、なかなか面白い。最近では、循環数やカプレカ数についての解説など興味深かったし、なんで今までこんなことも知らなかったのだろうかと思った。そういえばその昔、清水の次郎長が静岡で幕臣たちの生活再建の手伝いをしていたとき、旧幕臣の蘭学者から、月の満ち欠けの理由を説明され、なんで今までこんなことも知らなかったのか、長生きはするもんだ…と言ったとか言わなかったとか。まあ、それと似たようなものかもしれない。
人間は数と言葉を使ってものを考えるものなのだが、言葉が自然発生的とはいえ、人間が作ったものであるのに対し、数というのは人間を超えたところに存在し続け、それを人間が発見してきたというところがある。だから非常に簡単な問題であっても、いまだに誰も証明できないというものもある。
「数の悪魔」には興味深い話がいろいろとあるのだが、フィボナッチ数列とパスカルの三角形のあたりが面白い。一定の法則に従って数列を作ったり、三角形に並べていったりした場合、予想もしない別の法則が現れることがある。身近ですぐそこにある数というものにこれほど多くの不思議があるということに驚く。体裁は子供用の本になっているのだが、誰が読んでも良いだろう。





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最終更新日  2024年04月16日 17時50分07秒
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Re:「数の悪魔」(エンツェンスベルナー)を読んで(04/16)   ・曙光 さん
>人間は数と言葉を使ってものを考えるものなのだが、言葉が自然発生的とはいえ、人間が作ったものであるのに対し、数というのは人間を超えたところに存在し続け、それを人間が発見してきたというところがある。だから非常に簡単な問題であっても、いまだに誰も証明できないというものもある。

言葉は人間を他の生き物と峻別するまさに人間が人間たる所以のものであり、七詩さんと見立ては同じと思う。然しながら数についての見立ては、異なる方向性からの捉え方があっても良いように思う。

「数というのは人間を超えたところに存在し続け」とありますが、人間が存在しなければ数という概念はあり得ず、1も2も3もなく只、事物がそこに存在しているだけとなるでしょう。数として物事が認識されるのは、人間が広義の意味で言葉の一環として数を言葉同様に、発明したからに他ならないでしょう。

これは数のみならず自然界に対する見立てと同じと言えるでしょう。自然は人間の存在と関わりなく、そこに在る。ただ人間がいなければ、人間の認識がなければ、只自然がそこに在るというだけで、それは空とも土とも水とも、或は例えばライオンともネズミとも認識、識別されることはない。

人間が空と土と水とライオンとネズミと言葉により認識したから、それ等の存在は思考の糧と為り得て論理的に、言い替えれば科学として意味あるものとなったし、そこは数についても自然と同様です。

数を広義として言葉として認識し得たから、全ての自然界を、そして物事を論理的に識別できる科学として意味を持つ事と為ったといえるでしょう。
その意味からも言葉(数を包含する)こそ、人間を人間たらしめているものと云えるでしょう。

(2024年04月17日 07時50分52秒)

Re[1]:「数の悪魔」(エンツェンスベルナー)を読んで(04/16)   七詩 さん
・曙光さんへ
そうですね。数も言葉も人間なしにはありえません。それを思うと人間ははたしていつの時点で人間になったのか…という問いにもつながりますね。

(2024年04月17日 15時18分39秒)


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