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カテゴリ:雑感
最近、子供の体験格差ということが言われている。都市と地方、親が高所得か低所得かで、習い事、クラブ活動、家族旅行などについて大きな体験格差があることを問題視するものである。しかし、子供というものは全生活が体験であり、そうしたものの中から、将来の糧となるものを積み重ねて大人になっていく。山間部に生まれて自然の中で駆け回り、虫取りや魚釣りに興じたことも体験なら、貧しい家庭に生まれて母親と一緒に家計簿を計算しながら節約の知恵を出しあったことも体験である。幼い弟妹の世話をし、祖父母の介護を手伝って、その死を看取ることも、また体験であろう。 体験格差の議論で取り上げている体験が、習い事、クラブ活動、家族旅行を指しているのであるなら、それは体験格差ではなく、習い事格差、クラブ活動格差、家族旅行格差とかいわないと正確ではない。しかし、子供というものは小学校の中学年くらいになると、親と一緒の行動は好まないし、親と一緒のところを友人に見られるのも嫌がるものである。だから、家族旅行よりも、友人と一緒にちょっと自転車で遠出する方がずっと楽しいし、思い出に残る。 家に金がなく家族旅行ができないから、習い事ができないから、かわいそうね、支援しましょうとなると、ちょっと違うのではないかと思う。将来の糧という意味でも金をかけて何かしてもらったという体験よりも、誰かに何かしてあげたという体験の方が案外と重要なように思う。 もちろんこうは書いても「体験格差」が全く問題ないというつもりはない。好きなスポーツを金銭的な事情で出来ないというのは残念だろうし、親も辛い。そうしたものについては、道具のリサイクルとか、無料貸し出しとかで対処する方策が考えられるし、もしかしたら、そうしたことは、すでに実践されているのかもしれない。 ※ 政治ネタを書くつもりはないし、この日記テーマも政治ネタと関連するとは思っていない。だからこういうものを書いたからといって、例の格差の問題についてどうこうと言ったつもりはない。子供の貧困はもちろん大人の貧困の結果としてでてくるものなのだが、本人にとっての意味合いは異なる。大人の貧困は本人の不運、努力、能力資質のベクトルの結果なのだが、子供にとっては親という別人格者の貧困の結果である。貧困は連鎖することもあるが、貧困を糧にして伸びていく子供もいる。 なんでもかんでも親の経済力と子供の状況を統計的に比較して、親が貧乏な子供は可哀そう、支援しましょうというのは、なんか少し違うように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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