|
カテゴリ:旅
小田急線の下北沢から一駅のところに世田谷代田の駅がある。繁華街下北沢の隣の小さな駅と言う印象しかなかったのだが、所用があって行って見ると、このあたりの線路は地下化され、立派な地下駅となっていたので驚いた。さらに、駅前に出てみると、ここはちょうど西に開けた高台になっていて見晴らしがよいのに驚く。東京で富士山というと、今では高層ビルの展望室でしか見られないとおもっていたが、ここからなら普通に富士山を望むことができる。そのせいだろうけど、環状七号線をまたぐ陸橋は冨士見橋といい、北沢八幡には富士塚がある。もっともこの富士塚は登ることはできないのだが、富士山の溶岩をもってきており、傍には富士山が見えるというスポットもある。 このあたりには戦前から多くの文士が移り住んでおり、北沢川を暗渠とした後の緑道は文学の小路という名称がついている。文士を引き寄せたのは小田急の開業だったのだろうけど、武蔵野の面影と富士山や丹沢の山々を望む高台の眺望も魅力的だったのだろう。 世田谷代田は、今でも、かなりの高級住宅街のようであるが、やはりところどころ空き地となっているところもある。たぶん今の金持ちは閑静な住宅街で一戸建ての豪邸に住むよりは、何かと便利なタワマンの方を好むのではないか。 なお、世田谷代田の代田という地名はダイダラボッチの伝説に由来するという説もあるらしい。今の建物に覆われた光景からは想像しにくいが、かつてはこのあたりは武蔵野の野で地形の凹凸はいまよりもはるかに意識されていた。目立つ形の窪地があればそれを巨人の足跡と考えるのは自然な発想なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
世田谷代田は私にとって、忘れ難き懐かしい地名です。私事ながら、私が19歳の時、私は父の仕事の関係で両親と共に地方に住んでいたが、19歳の夏、最も近しい親戚の家がある世田谷代田に1か月都心の予備校の夏期講習に通うため居候したことがあります。親戚の家と世田谷代田駅は数分で行ける距離で、炎天下1か月寄り道もせず、世田谷代田駅までの通学路を歩いたものです。
代田という地名は、田んぼ、又は何らかの管轄領地の名の名残りかと思っていましたが、ダイダラボッチでしたか。私にとっては初めて知る面白き地名の由来でした。 下北沢は20代後半、勤め人時代に行きつけのスナックがあり、よく深夜彷徨したものですが、数年前訪れたら、小田急線の線路がすっかりなくなり、下北沢駅が大変貌しているのに驚いたことがありました。 駅が大変貌して驚いたのは、私の馴染みでは他に「調布駅」「府中駅」「武蔵溝ノ口駅」などがあります。 一つの駅、一つの街に、それぞれの土地に、それぞれの由来と歴史ありですね。 (2024年05月24日 14時40分32秒)
・曙光さんへ
小田急線の下北沢辺りは騒音の問題もあって地下化したようで様変わりしました。平成は長い下り坂の時代などと言う人もいますが、多くの駅がすっきりと綺麗になりました。 ただ一戸建てのあったと思しき場所がところどころ空き地になっているのは時代ですね。付近に店もない、夜は人通りもなく物騒なだけ…こんな閑静な住宅街というのは今のライフスタイルでは魅力がないのでしょう。 下北沢は古着屋さんの目立つ街になっていてこれも様変わりです。ファッションとしての古着もあるのですね。 (2024年05月24日 15時19分48秒) |