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カテゴリ:読んだ本
枕草子第百三十六段までを読んだ。だいたい真ん中あたりなので、感想を書いてみる。 大きな部分を占める宮中生活の回想については、時系列に関係なく並べられており、しかも背景の政変などについてはほとんど記述されていない。そのため、ただ読んでいると楽しいことを思いつくままに書いたように見えるのだが、実際には道隆健在の頃の栄華の絶頂期から関白家の没落というように定子サロンをとりまく状況は激変している。栄花物語には関白家没落の後にも、並みの女房よりも面白い清少納言の相手をするのを楽しみに多くの男達が集まっていたという記述があったと思う。落ち目の関白家であっても、清少納言は必死にサロンをもりたてていたのだろう。百人一首でも有名な鳥のそら音の歌のやりとりも、この時期のことである。 前半を読んだ中で印象的なものは雪の山の挿話である。定子のなくなる二年か三年前で、既に関白家は没落している時期のことである。雪が降った後で、大きな雪の山を作り、その雪の山がいつまで残るかについて定子と清少納言との間で賭けをした。ところがこの雪の山の庭に乞食の尼が侵入し、仏前の供物の残りをねだる。卑猥な歌を歌って舞うので、女房達はいつしかその歌詞にちなんで常陸介というあだ名をつける。権勢のある時期であれば、そんな乞食の侵入は考えられなかったであろう。また、この尼乞食というのは、本当に庶民だったのだろうか。この時代、出家というのは一定以上の階層に限られていたであろうし、貴族の女性であっても、しっかりした後見がなければ、小野小町の落剝伝説にあるように、困窮し流浪する可能性もあった。今昔物語には宮女が乞食同然で窮死する話もある。尼乞食の常陸介は道化として登場しているが、女房達の目にはもしかして明日の我が身かもしれぬという感があったのかもしれない。 雪の山は結局は定子が賭けに負けるのがいやさに壊したという話になっており、これをそのまま読むと、単に定子が子供っぽい所業をしただけのことになる。しかし、そうではないだろう。雪山が壊れているのを見て清少納言がくやしがったということが書かれており、彼女自身も自ら道化役をやることで、サロンの雰囲気を明るくしようとしたのではないか。もちろんそれは定子も承知の上である。 楽しく面白いことばかりを書いているようにみえる枕草子も、関白家が、政争に敗れ、没落していく背景を考えて読むと、どことなく物悲しい。 ところで関白家の没落の決定的な要因となった長徳の変なのだが、ネットで見るとやはり道長の陰謀説がある。伊周と隆家が花山上皇に弓を射たという事件なのだが、秀才の誉れ高い伊周がこんな所業を主導するとも思えない。もしかしたら、伊周追い落としのために、道長と隆家が通じていたという可能性もあるのではないか。兄弟と言えども利害は同じではない。そして、その後を見ても、実際に弓を射たという隆家の処分の方が軽くなっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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