世の中がいやになってしまってどこかに行ってしまいたい時でも、きれいな紙とよい筆とがあれば、本当に慰めになって「まあ、いいわ、もう少し生きていたい」と思うのよ…というのは昔清少納言が中宮の前で雑談の折にいった言葉である。今は良い時代で、WEBなんていう便利なものがあるので、いつでもいろいろなことを書くことができるのだが、紙が貴重品だった時代はそうはいかなかった。書くことが好きな人が紙と筆を手に入れた喜び…というのは今日では想像しにくい。しかし、思ったこと、考えたことをまとめてみたいというのは人間の根源的な欲求の一つなので、だからこそ、口承というものがあり、日本の場合には人々が口遊みやすくした短詩形式が発展した。文字ができてからは、その思いや考えを書き残したくなる。
枕草子を読んでいると、作者がとにかく書きたいことを書いているという感じがするし、今だったらさしずめブログに書くような内容もある。こういう人って本当にいやよね、とかこういうのってわくわくするわよね、とかそんな文章である。枕草子には中宮定子が紙を送って来たという段があり、おそらくその時期に執筆が始まったのではないかと言われている。道隆が死去して長徳の変で伊周、隆家が失脚して関白家の家運が急速に傾いた時期である。この頃、清少納言はしばらく宿下がりをしていて、中宮が再度の出仕を促していた。宿下がりの背景は書かれていないのだが、政変の関係でどさくさがあった時期であり、いろいろな誤解もあったのかもしれない。
明るく華やかな宮中絵巻のような枕草子だが、実際には、定子の属する関白家が急速に衰退していく中で、書くことで自らを慰め、また、それを周辺の人々も読むことで慰められて行ったのではないか。こういうのはいいわよね、とかいやよねとか言った軽い段もあれば、関白家が栄えていた時代の楽しい想い出を書いた段もある。また、今の暮らしの中でも面白いことや楽しいことを見つけて書いた段もある。
実際には家運傾く中で、背いていく人や辛いこともあったのだが、そうしたことは書いていない。あえて書かなかったのだろう。ただ、一か所、定子の乳母が離れていくくだりがあり、こんな素晴らしい中宮様を離れるなんてどうしてできるのだろうか…と作者の筆致はここばかりは非難がましい。