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カテゴリ:読んだ本
太平記で鎌倉幕府が滅亡にむかう過程を読んでいる。 歴史は勝者によってつくられるので、現実の北条高時がここで書いてあるように闘犬と田楽だけに溺れた人物だったとも思えないが、世襲の常としてそれほど優秀というわけでもなかったのだろう。鎌倉幕府の体制がゆきづまり、つぎつぎと討幕の動きが起きてくるわけなのだが、幕府もその出先の六波羅もなすすべがない。 日本史上の争いというのは、宗教とか民族といった決定的な対立軸がないので、大義というよりも時流によってどちらにつくかを決める傾向が強い。源平の合戦でもそうだし、はるか後の戊辰戦争もそうだった。特に、南北朝時代の対立は天皇まで二人いるので、特にこの傾向が強い。 平家物語には無常観が根底にあり、栄華を極めた公達が、それぞれに悲劇的な最期をとげる様子が余韻をもって描かれる。それに比べると、太平記の登場人物はそれぞれがそれぞれの欲望で動いており、鎌倉方はもちろん後醍醐天皇方も美化されていない。嫋々と無常を謳うのではなく、争いから一歩ひいた皮肉っぽい知的な視線がある。そこが平家物語とは違う。 太平記で英雄的人物として描かれているのは楠木正成だが、楠木正成が国民的英雄と扱われるようになったのは明治以降で、湊川神社も明治5年の創建のようである。現天皇は北朝系なのに、明治以降に南朝の中心の神格化が始まったのは不思議な感じがする。この時代は大河ドラマでもタブー視されていたというが、一度だけ扱われたことがある。局内では論争があったそうだ。ネット情報によると、楠木正成役には高倉健も候補になっていたそうで、高倉健なら昔ながらの英雄のイメージにぴったりだろう。ところが実際に楠木正成を演じたのは武田鉄矢であった。身分の低いゲリラ戦を特異とする土豪ならこっちの方がイメージにあうように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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