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テーマ:日常の生活を・・(3374)
カテゴリ:「赤い鳥」ノート
畑や田んぼを実際に目にするためには 遠方まで足を運ばなければならなくなりました。 実際には江戸時代。 士農工商の士だけが特出して多かった薩摩藩の城下町鹿児島には水田がそれほど多くなかったことも事実です。 また、小中学校の社会科でも習うとおりシラス台地という地形が農家の人々を苦しめ続けたことも理由のひとつであるのかも知れません。 旧鶴丸城を囲む地域には田畑が少ないことは事実です。 にもかかわらず いいえ。だからこそなのかも知れませんがちょっと足をのばせば。 いまだにたくさんの「田の神さま」が守られて生きています。 「田の神様」こちらの言葉で「たのかんさあ」と呼ばれるこの石像はユニークな姿形をしています。 「たのかんさあ」はきれいに着飾って安置されている神様とは違います。 田んぼの畦道やそこらのちょっとした空いた場所に立っていて、農作業の方々を見守っているのです。 年に一度は感謝をこめて祭りが催されるのですが。 それでも「われらが守り神」として生活を共にしてくれる神に対しての本当の感謝の気持ち以外の何ものでもないようです。 もっとも古くは1700年代のものが現存しています。 鹿児島を中心に2000体が確認されているとのことです。 「たのかんさあ」は元来民話や風習がそうであったように 生活の中から生まれ守られてきた「われらがかみさま」なのでしょう。 「たのかんさあ」は現在でも自治体や地域社会に守られて生き残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.25 15:43:10
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