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カテゴリ:出せない手紙・架空の手紙
タ●カマ●ト君は 上手にゴンギツネの絵を使って入会案内のポスターを描きました。 彼は様々な特技を持つ優秀な男です。 あまり人前では披露しませんがフリーハンドで日本地図を描くのです。 たとえば三重県を「ココが○湾そして○半島…」と説明しながら 一筆書きで県境を描いてしまいます。 だいたい地図を見ながら書き写そうとしてみてもスタート地点にうまく戻ることだって不可能なのにです。人間業とは思えない匠の技です。 私の記憶が定かならば彼は地理の教師になりたかったのだと思います。 その彼が入会勧誘のポスターに描いてきたのが「ごん狐」の絵でした。 その頃はカラーコピーなど存在せず、一枚一枚手書きでポスターを描いていましたから。…実際「赤い鳥の文集」にしてもガリ版で切って謄写版で印刷していましたね。 彼のごん狐のポスターは一枚も残ってはいませんが その絵や構図は今でもしっかりと目に焼き付いています。 新美南吉は旧制中学時代の頃の日記に記しています。 ストーリイには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変わる。 俺は悲哀すなわち愛を込めるストーリイをかこう。 「ごん狐」が赤い鳥に掲載されたのはその三年ほど後のことです。 主幹、鈴木三重吉の手が入っているとはいえやはり天才的な才能の持ち主ではあります。 「芸術であろうとなかろうとかまわない。俺は愛を込める」と宣言して投稿を繰り返していた岡崎の小学校教師の授業はどんなモノだったのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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