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2007年11月12日
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何故この島を”松島”(ISLA DE PINOS)と呼んだかは
島へ行けばよくわかる。何故ならば、松の樹がたくさん生息しているからだ。
正式には何松というのかな?日本で見かける松よりも空高く伸びている。
現革命政権の方針によりアフリカをはじめとする世界の非先進国から
多くの留学生を集め、カレッジアイランドにするべく、
同時に”青年の島”と変名された。
が、年配の多くの方々は今でも松島と呼ぶ。

ハバナから飛行機で南下して約30分。
ある取材のお供で3年振りに訪問してきた。

キューバ島も日本列島と同様”島”であるが、面積は日本の本州の3分の1ほどあるので、
普段はちっとも島を感じさせない大きさだし、意識下の中にも島を感じない。
ところが、この青年の島は飛行機を降り立ったその瞬間から
ここは”島”だ、という空気を感じさせる。
風がキューバ島と違う。
遮るものの何もないその風景が、島に降り立ったことを印象付ける。

今から約100年前。多くの出稼ぎ移民が日本を出発し、
沢山のお金を土産にするべく外国での仕事に夢を託した。
ここキューバへも1899年に8名からなる日本からの最初の移民登録が残っている。
そこを皮切りに1916年には総勢262名、1924年から26年までの3年間には
総勢487名、それをピークに、後の第二次大戦の始まる直前1940年まで、
世界の歴史の変動に比例しながら、遥々キューバへ到着している先輩方がいた。

現在のデータでは日系と呼ばれる人々はキューバ全土で約1200名。
一番多くを数える地域は、ハバナ市。次に来るのは青年の島。
人口比で言うならば、青年の島がだんとつに高い数字を表す。

その島に全国で唯一存命の移民一世として、今年100歳を数えようとしている
新潟出身のお爺さんが住んでいる。
キューバ政府の懐の深さか、無償の老人ホームに暮らして
早20年が過ぎようとしている。生涯独身そして生涯農業を貫いた日本男児である。

この島は土壌の性質がサトウキビの生育に全く適さない。
だから、キューバ全土で見かけるサトウキビ畑は、どにも見えない。
土壌に唯一適するのが柑橘類。現在は国営のオレンジ畑農場がどこまでも続く。
革命前1925年まではUSAだったこの地。
1925年以降はキューバへ返却されたものの、1959年まではキューバ全土の歴史同様
ほとんどの土地のオーナーはアメリカ人であった。
1930年のデータによると島に1200以上あった農場の900以上がアメリカ人の所有であったと言う。だからアメリカンスクールも存在したし、アメリカ人の墓地も残っている。
今でも残るアメリカ人地主の家は、アメリカ南部のニューオーリンズあたりにありそうな
南部スタイルのアメリカンカントリーハウス。
当時その農場はグレープフルーツの樹がどこまでも続いた。

我々日本では外国人をガイジンと総称するけれど、
彼らは当時のガイジン(様々な国籍からなる入植者がたくさんいた)を
総称してアメリカーノと呼んでいた、という。

次回へ続く・・・。








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Last updated  2007年11月13日 03時42分00秒
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