テーマ:歴史を語ろうぜっ!!(184)
カテゴリ:日本史炸裂!!
年末年始にビデオをたくさん見ました。
河井継之助もそうだし、山本五十六もそうなのですが。 二人とも長岡出身と言うことで共通しています。 なので、今は本格的に長岡まで行く計画を練っているのですが。 この寒さの中新潟などに行ったら路面凍結や、降雪で死ぬかな・・・ と、心配しております。 新幹線で行こうかな? でも長岡に記念館であるのは山本さんの記念館だけで河井継之助のものはない。 せっかく行くのだから色々見てきたいんだけどなぁ。 ☆☆☆ 山本五十六は真珠湾攻撃を考えたと言われるえらい軍人さんです。 読み方はやまもといそろくです。 お父さんが56歳の時に生まれたので五十六と名付けられたのですが。 すごいネーミングセンスですよね。 年末のその時歴史が動いたをみた人も多いでしょうけども。 山本さんは戦艦大和の建造に反対していました。 時代は船ではなく。 航空機の時代だと知っていたからです。 真珠湾の奇襲についても、アメリカ相手に戦うためには最初に相手を一気に叩いて早期講和をする以外無いと考えていたので。 ああいう攻撃にでました。 宣戦布告が遅れてしまったというエピソードは比較的有名かな? そのために布告前に攻撃を仕掛けた事になってしまい。 アメリカの反日感情を強くしてしまったんですね。 山本さんはアメリカの国力が日本とは比べものにならないほど大きい事を知っていました。 長期戦になれば、国力の差でドンドン航空機とか生産されてたちまち負けてしまうとしっていたからこその真珠湾攻撃だったんだと思います。 日本はアメリカと戦ってはいけない。 戦ったら負けると主張し続け。 でも、その戦争の主要な部分を任されてしまうんだから皮肉ですよね。 山本さんは海軍です。 でも最後飛行機かヘリコプターか忘れましたが。 空で打ち落とされての戦死でした。 海軍なのに空でやられてしまうんだからイメージが違いますよね。 ☆☆☆ 山本五十六と東郷平八郎のイメージが重なる人も多いのではないかと思います。 実際にネット上で見られる山本さんの肖像とかを見ていると、自分の持っている東郷さんの肖像と似ていて、なおさら紛らわしいです。(よくみたらあんまり似てなかったですが) でも実際は山本さんは東郷さんを嫌っていたみたいですよ。 ☆☆☆ 山本さんにはこんな有名な言葉があります。 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」 いい言葉ですよね~♪ そのまま「山本五十六」という映画にもなっているのでレンタルで見つけてみるのも良いかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.03.20 02:57:38
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