発達障害への無理解から陥った叱りのループ…
「この子のために」が虐待につながることも
何度言っても改善されない!
「お皿の上で、こぼさずに食べなさい!」
「もうゲームは終わりの時間!」
「 屁理屈 や言い訳はしない!」
子育てをすれば、
誰もが一度は口にするであろう「しつけ」の言葉です。
もれなく私も何度も何度も、何度も口にしてきました。
いつも思います。
「何度同じことを言っても全然改善されない」
「このままでは、小学校に入ってこの子が苦労してしまう」
「この子のために。この子の幸せのために……」
気がつくと叱りの言葉も強く、回数も増加し、
徐々に自分の怒りのコントロールが難しくなることも頻繁にありました。
時には必要以上の叱り方をしてしまい、
深く自己嫌悪することも。
親であれば、誰でも子育ての後悔はあると思います。
今回は「発達障害を勉強していなかった時の私」が、
「良かれと思って」
発達障害の息子にしてしまった
「しつけという名の叱り方の失敗」の話。
発達障害を知らない叱り方は虐待の危険があり、
「二次障害※」を引き起こす恐れも。
当時を振り返ると、私は心から後悔しています。
子供を愛してやまないのに、陥ってしまう矛盾。
回避するには
「子供の問題行動はなぜ起こるのか?」
という疑問と仮説、
知識を持つこと。
皆さんに同じ思いをしてほしくないので、
今回は重い指先でタイピングします。
※二次障害:発達障害への十分な理解やサポートがなく、
過度な 叱責 やいじめが続くことで抑うつ、
適応障害、反抗挑発症などを発症すること
いくら注意しても減らなかった「食べこぼし」
息子は、保育園時代から「食べこぼし」が多い子供でした。
中学生になった今でも多い方だと思います。
その理由のひとつは、口がお皿から遠い位置にあり、
料理を箸やスプーンで口元に持ってくる際にこぼれ落ちるためです。
前傾姿勢で料理の上に口を近づけるよう指摘しても、できない。
何度言っても、頭の位置がお尻の真上にあります。
私は、貧しいながらも礼儀作法は厳しい家庭で育てられました。
行儀の悪さは、何度も怒られることで改善されました。
大人になった今、マナーで悪印象を与えないでいられるのは、
厳しかった両親や親族のおかげだと思っています。
そんな自分の「成功体験」から、
息子もいつかきっと改善されると信じて、
毎日毎日
「顔はお皿の上!」「体を前に倒して!」
と繰り返しました。
すると息子は、
ときどき食事の席で苦しそうな表情を見せるようになりました。
食べこぼしは減りませんでした。
発達障害の特性が食べこぼしに関係していた
後に勉強して知ったのですが、
食べこぼしには
発達障害を由来とした様々な要因が関係していることがあります。
息子の場合、以下の3点の関連を感じました。
① 体幹の弱さによる前傾姿勢保持の困難
② 空間把握の弱さで、口と料理の距離に実際の長さとのズレが生じる
③ DCD(発達性協調運動障害)
発達障害だと体幹が弱い傾向があること(①)は広く知られています。
改善のために体操やスイミングがいいという意見も多くあり、
私の息子も小学校の6年間通っていました。
また、心理的に不安定になると姿勢保持が困難になることをについて、
関連性を示唆する論文もあります。
(参考 https://doi.org/10.6033/tokkyou.48.43 )
つまり
「食べこぼす→叱られる→心理的不安定で姿勢保持困難
→さらに食べこぼす→さらに叱られる」
という親の叱りのループが発生するということです。
これは私も何度も陥りましたが、
アンガーマネジメント(怒りのコントロール)ができない状態となり、
子供への虐待につながる恐れがあります。
物の大きさや距離感、自分の体の形状の把握が弱い特性(②)も、
発達障害では多く指摘されます。
書字が苦手だったり、片付けが雑だったりするのも、
この特性由来の可能性があります。
息子は、字をきれいに書く、
マスに収める、まっすぐ書くことも苦手です。
「練習すれば誰でもできるようになる!」
と日々反復練習させた結果、
エネルギーを書字で使い切ってしまい、
学習への集中力が保てないという本末転倒な事態に。
この辺りの話は、
「学習・受験」を書く際に改めてお伝えします。
DCD(発達性協調運動障害)も発達障害では頻繁に目にします(③)。
「協調運動」とは、例えばキャッチボールや縄跳びのように
「手と目」「手と足」が連動した動作のことです。
身体機能に問題がないのに、
この協調運動が際立って苦手な状態がDCDです。
息子は上記の他に
「ハサミを使う」「靴ひもを結ぶ」「バスケのドリブルをする」
などが苦手で、発達障害を未勉強だった頃の私は、
「縄跳びは毎日練習すればできるから!」
と何度も 叱咤 激励していたつもりですが、
知らないうちに息子を追い込んでいたのかもしれません。
このように息子の行動を分析できるようになったのは、
発達障害の勉強をした後からで、未勉強の時は自分の経験のみに従い、
「努力すればできる」「良かれと思って」
叱りっぱなしでした。
発達障害の問題行動は、未勉強だと単に「問題行動」に見えますが、
知識が増えると見え方が変わります。
「ゲームは60分でやめる」約束に「理解のズレ」
食べこぼしの他に、「ゲームは60分でやめる」
という約束を息子が守れず、
制限時間を超えてしまった時の、私の失敗を書きます。
この約束、私は
「60分後にゲームの電源が落ちている状態。
できればゲーム機が片付けられた状態」
をイメージしていました。
しかし息子の場合、
「ゲームを60分でやめる」=
「60分たったらゲームをやめる動作を始める」
と解釈していました。
60分になってからゲームの保存をするので、
結果、約束の時間はオーバーします。
60分を超えてゲームをする息子を見て、
私は「時間をオーバーしているよ!」と叱ります。
息子にしてみると約束を守っているので、
叱られて不満に感じ
「いま終わろうとしてるとこ!」
と反抗的に言うわけです。
私がさらに叱ると、息子は
「60分でやめ始めるっていう約束でしょ!」
と主張します。
私にすれば
「それは言い訳や屁理屈だ!」
と感じるわけです。
この現象がゲーム以外でも頻繁に発生するので、私は
「言い訳・屁理屈」
で片付けることをいったんやめて、
息子にじっくり話を聞きました。
すると、
上記のような「理解のズレ」があったことが分かり、
これは「曖昧な指示」を理解にしにくい
発達障害の特性由来であることが見えてきました。
「曖昧な指示を避ける」は発達障害でなくても大事
発達障害の人には「曖昧な指示」は避けた方がよいと言われています。
行間や文脈、相手の心理を読み取ることが苦手で、
社会性の成長が遅れているケースが多いためです。
しかし、そんな発達障害の特性を知らないと私のように、
曖昧な指示を出す→解釈がズレる→息子の問題行動→叱る
→納得いかない息子の反論→言い訳に感じて叱る
→さらに納得いかない息子、という悪循環となり、
過度の叱責から虐待、二次障害につながります。
もちろん子供なので、年齢相応の屁理屈や言い訳はあります。
ただ私は発達障害を学んで以降、息子に限らず、
仕事上でもトラブル防止のため
「曖昧な指示を避ける」
ようになりました。
大人の発達障害や、
発達障害でなくても
特性の偏った人は当たり前に存在することも知りました。
人間は100人いたら100通り。
自分と同じ考えや感覚、認識ができる人はいない。
他者理解と利他的なコミュニケーションができれば、
余計な問題も減り生産性も向上します。
発達障害と虐待に関して、
以下の問題を指摘する研究があります。
① 発達障害は目に見えず、個体差が大きいため、保護者にとっては養育が困難で虐待リスク要因となる
② 子供に加え保護者も発達障害と疑われる場合、特性ゆえに子育てが困難で、かつコミュニケーションの困難さから周囲に援助してもらえず、孤立化し虐待の発生と深刻化するメカニズムがある
③ ②の場合、発達障害と疑われる保護者は子育てのストレスから二次障害(うつ病、反社会的行動など)を有していることも少なくない
発達障害と遺伝の関係はまだ明確になっていません。
ですが、親自身が発達障害や
発達障害の特性を持つグレーゾーンであると、
虐待や二次障害のリスクが高まり得ます。
発達障害を学ぶ前の私は、独善的な子育てを続けていました。
それは息子の二次障害のトリガーとなったかもしれず、
今でもゾッとします。
それを象徴する出来事が、
次回みなさんにお伝えする
「息子の発達障害を通告された時の出来事」です。
当時の私は、無知で無責任でした。
【YomiDr.】
何より二次障害が分かりにくくて心配ですね。
子育てすることで、
親は育てられるんですよね。☄
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