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2011.04.27
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カテゴリ:雑談

 みかん食べる

今日も軽めの雑談チックな小話で。

「ナマズが暴れると地震が起きる」という話ををご存じの方も多いでしよう。今はほとんどが冗談の意味で使っているかと思いますが、昔は真剣に、「地中深いところに住んでいる大鯰が体を動かすと地震が起きる」と信じられていました。

ちなみに日本ではナマズですが、海外でも動物が暴れて地震を起こすというか考え方はあるようで、インドでは大地はゾウの上に乗っており、ゾウが暴れると地震が起きるという話になっています。

実際、動物の嗅覚は鋭いので、地震の前、猫は姿を消し、犬は暴れ、ネズミは群れをなして逃げる。冬なのに蛙や蛇が地表に現れるという逸話、記録には事欠きません。

阪神・淡路大震災(平成7(1995)年1月)の時も、震災前深海魚が大量に網にかかり、漁師の方々が不気味がったという話が伝わっています。ナマズも嗅覚は鋭いらしいので、地震の前異常な暴れ方をして、人々を驚かせた事はあったのでしょう。

ナマズと地震の話として有名なものが、安政江戸地震(安政2(1855)年10月2日(旧暦))を記録した書物『安政見聞録』に記載されています。

この本の特徴は、震災時に流れた様々な情報をまとめたものではなく、読者に教訓となるような話を中心にまとめ、科学的な考察も併せて載せたもので、世情に便乗した煽るだけの本ではなく、わかりやすい専門誌的な主観で書かれたものです。デマなどは排除されているため史料としての信頼性は高く、実際におきた話が載っていると見て良いと思います。

「本所永倉丁篠崎某なる人遊魚を好、十月二日の夜数珠子といへるものにて鰻をとらんと河筋所所をあさるに、功に鯰騒、鰻一つも得ず、唯鯰三尾を得てさて思ふやら、鯰の騒ぐ時は必地震有りといふに心付て、漁を止、帰宅して庭上に筵を敷、家具道具を出して異変の備をなせり、其妻は不審密に笑へ、しかるに其夜右地震あり、住居は悉く潰れけれ共、諸器物は更に損せず」

簡単に言えば、本所に住む、篠崎という者が、十月二日の夜に鰻を取ろうと河に釣りにいった。しかしかかったのはなぜかナマズ3尾で鰻はかからなかった。これをみて「ナマズが騒ぐと地震が起きる」という言い伝えを思い出した彼は、漁を止めて急いで家に戻り、庭に筵を引き、家財道具をすべて外に出した。妻は呆れて笑ったが、その夜の内に地震が起き、住居は潰れたが家財道具は庭に出していたので無事だった。と言う事になります。

そして同じように釣りに行った隣家では、漁を続けたが獲物もほとんど取れなかった上に、家は潰れ全財産を失ってしまったと言う話も記載されています。
この逸話を見ると、ナマズの普段にない行動を見て、地震を警戒したことが、被害を最小限に食い止められた教訓話にきれいにまとまっています。

ではいつ頃から、日本ではナマズが地震を起こすようになったのかを、見てみたいと思います。

12世紀、鎌倉時代の頃は、「地震虫」という龍によく似た動物(いや妖怪かな)が、地震を起こすというイメージで描かれており、ナマズはまだ登場しません。

初めて公的な文書に出てきたのは文禄元(1592)年の事で、豊臣秀吉が京都所司代に宛てた書状にある「ふしみのふしん、なまつ大事にて候」という一文です。

当時秀吉は、甥の豊臣秀次に関白の位を譲り、伏見に隠居城を建設するよう命じており、この発言は「ナマズが暴れて地震が起きても、壊れない城を造れ」と言っています。

シャレに類する発言ですが、背景にナマズが地震を起こす話が一般的だったのは間違いないでしょう。

余談ですが、こうして築かれた伏見城ですが、慶長元(1596)年におきた都市型直下地震慶長伏見地震によりあっけなく倒壊し、場内では数百人の犠牲者が出てしまいます。秀吉は側室淀君と幼い我が子秀頼(同時5歳)と共に避難して、辛くも難を逃れています。

茨城県の有名な鹿島神宮(神宮の伝承では、創建は神武天皇1年で紀元前660年となっていますが、さすがにこれは伝説の域を出ないでしょう。しかし奈良時代に編纂された『常陸国風土記』にも出てきますから、歴史的にかなり古く由緒正しい神社であることは確かです。神武天皇1年を創建として容認されるほど、祭神武甕槌神も含めて、大和朝廷が軽視できない大きな存在だった事を伺わせています)には、地震を封じ込める「要石」の伝説が残っています。

これによると「大きなナマズが日本を取り巻いていて、頭と尾の部分が鹿島の地で重なり合っている。その頭と尾を鹿島大明神が釘で刺し貫いて動けないようにしている。要石はその釘にあたるもの。見た目は小さいが決して引き抜けない」と言われています。

私も何度か鹿島神宮に行って見ていますが、「え? これが?」と拍子抜けするぐらい小さいものです。立て札などなければ誰も要石だとは気がつかないぐらいのものです。

他の伝承では、徳川光圀(水戸黄門の事です)が伝説を確かめに、7日7晩石の周りを掘らせたが、根元に届かず、諦めたという話も残っています。

これが事実とすると、ナマズが地震を起こすというのは、2000年以上前からと言う事になりますが、この逸話の「大鯰」部分は、元は「大魚」だったので、特別ナマズを意味していませんでした(もちろんナマズを含めての意味だったのでしょうけど)。
大魚が大鯰に代わって定着したのは、やっぱり江戸時代あたりからと考えるのが妥当なようです。

「地震は、大きな鯨が地下を這い歩くために起きると日本人は考えている」とは、長崎出島のオランダ商館に赴任したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルの回想です(彼の長崎勤務は元禄3(1690)年から2年間)。恐らくナマズの絵を鯨と勘違いしたのだと思います。秀吉の時代以降も消える事なく、ナマズが地震を起こすという話が日本中に定着している事を伺わせます。

ナマズの地震絵である鯰絵と呼ばれる錦絵が急速に普及したのは、江戸時代末期、安政年間(1854~1859年)以降のことです。

時代はペリーの来航、そして明治維新へと激動の時代を迎えつつありました。しかし地震が多発したという意味でも、幕末は激動の時代だったのです。

嘉永6(1853)年3月の小田原地震(M6.7。小田原城下で全壊家屋1000戸、死者24人以上)に始まり、翌安政元(1854)年7月伊賀上野地震(M7.2。伊賀上野で2000戸、奈良で400戸が全壊し、死者1800人)、12月23日の安政東海地震(M8.4)、翌24日の安政南海地震(M8.4)と、立て続けに地震が発生します。

政治の混迷、世情の不安と震災、その苦悩に、人々は鯰絵に様々な思いをぶつけています。

下の絵はかなり有名なもので、江戸新吉原での鯰絵『しんよし原なまづゆらひ』と呼ばれるものです。

 鯰絵

江戸の歓楽街吉原(浅草寺裏の日本堤あたりになります)は、安政江戸地震で壊滅的な打撃を受けた場所の一つです。吉原での死者は1000人に及び、安政江戸地震の犠牲者の1割弱に達します。

絵を見ると、遊女や太鼓持ちなどが手に棒や包丁、三味線まで振り下ろしてナマズ(地震)を打ち据えて懲らしめています。大勢の仲間、そして大事な顧客を失った恨み辛みをコミカルに描いています。

ですが、地震だけを一方的に悪としているのではなく、諧謔の精神も忘れていません。写真だと小さくてわかりませんが、痛めつけられるナマズの言葉はこう書かれています。

「おいらんに乗られて嬉しいよ嬉しいよ。そんなに乗るとまた持ち上げるよ、揺すぶるよ」

思わずにやりとしてしまいます。災害時でもユーモアセンスを失わない江戸市民の強さを感じさせる気がします。

また絵はないので文章だけですが、私の見た鰻絵の中で、見事な風刺に満ちた一枚があります。「鰻供応の図」と題されたそれは、羽織袴を着たナマズが上座に座り、下座では大工やとび職、左官などの人達が、ご馳走と酒、そして芸者を呼んで、ナマズを待てなしています。

大工や左官などの建築業の人々は、震災後の復興特需で沸きかえっています。停滞していた当時の建設業にとっては、まさにナマズ様々の恩恵といえるものだったのです。お礼の酒宴とはブラックジョークですが、なるほどと理解できます。

絵をお見せできなくて残念ですが、今の風刺画と違って刺々しい感じが無く、見ていて自然に「ああ、大工の連中、一儲けしてるな」と笑いたくなるような、風流に満ちた絵です。それが江戸流のなんでしょうね。

また建築業だけではなく、現在で言えばマスメディアにあたる瓦版や、鯰絵などをまとめた書物が飛ぶように売れ、それらが復興のための消費活動に、幾ばくかの貢献をしていく事になります。

このあたりは現在でも「自粛すべき」「いや過度な自粛はするべきではない」という議論にも一石を投じる貴重な記録になりそうです。

ナマズが暴れたから地震が起きるものではありません。彼らは彼らの嗅覚で地震を察知するかも知れませんが、科学的な立証は難しいからです。

しかしその俗説がどのような形で生まれ、文化として定着していくかの仮定を追う時、興味深い英知が見えてきそうです。

・・・もとっともこの雑知識、披露する場なさそうですが・・・。






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Last updated  2011.04.29 10:41:23
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