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2013.12.14
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カテゴリ:西暦535年の大噴火

両羽を揃えて

前回の続きです。

クラカタウが、西暦535年に大噴火をしたことを示す、決定的な噴火を記録した歴史的な史料はありません。しかし間接的な史料なら中国に残されています。
当時、中国は南北朝時代でした。そこで南朝側の記録をまとめた歴史書に、『南史』があります。

(502~557年まであった南朝の1つ。首都は今の南京にあたる建康です)の中大通6(西暦534)年12月の記述に「西南有雷聲二(南西の方角で、2回雷鳴がした)と記録されています。

534年なら前の年じゃない? とお思いになった方も多いかも知れません。

しかし当時の中国の暦は、月の満ち欠けを元にした太陰暦です。従って現在の暦とはずれがあります。それを補正すると、『南史』の534年12月の記述は、535年2月頃の出来事と考えることが出来ます。

また、雷なんて珍しくないじゃないの、そんな注目するようなことなの? と考える方もいるでしょう。しかしこれは大きなヒントなのです。

中国で雷は珍しくありません。にもかかわらず、何故「2回もした」とわざわざ記録を残したのでしょうか? 『南史』には、「雷」という漢字自体は数回出てくるものの、「雷鳴がした」という記述があるのはここだけです。

これは、普段の雷とは異なる、しかし他に形容できない異常なものだったからと考えることが出来ます。つまり、大きな爆発音ではなかったかと言うことです。

雷以上に大きな音を聞いたことがない、当時の中国の人々にとって(中国には火山はありません)、この異常な音は"雷"としか形容出来なかったと考えられます。

火山の噴火の音だったとしても遠すぎない? と思われる方もいるかも知れません。建康とクラカタウの距離は約4500kmあるからです。

しかし音は届くのです。

1883年のクラカタウ噴火の際、4776km離れたインド洋にあるロドリゲス島で爆発音が観測されているのです。したがって4500km離れた建康に音が届いたとしても、全く不思議ではないのです(ちなみに推定されている535年のクラカタウの噴火規模は、1883年の倍以上だったと考えられています)。 

さらに『南史』には、"雷"がした方角を西南と記していますが、地図で南京から南西方向をたどってみると、クラカタウのあるスンダ海峡あたりまで行き着くのです。この点からも『南史』の記述は、クラカタウの噴火だった可能性は高いと推測できそうです。

あと、『南史』には、「黄色い塵が雪のように降ってきた(大同元(535)年)」「黄色い塵が積もり、手ですくうことが出来た(大同2(536)年2月)」といった記述も出てきます。黄色い塵の正体は、火山灰だったのではないかと思われます。もしクラカタウの噴火でなかったとしても、どこかの火山が噴火したのは間違いないでしょう。

もし破局噴火(スーパーボルケーノ)レベルの噴火が起きた場合、地球は「火山の冬」と呼ばれる寒冷期に突入します。

噴火によって成層圏まで打ち上げられた火山堆積物、硫酸塩などのエアロゾルは地球上を多い、太陽光を遮断してしまうのです(日傘効果と言います)。これが地表の寒冷化を招くのです。緯度の高い地域では夏が来なくなります。

日本で例をいえば、津軽海峡が10年位氷が張って「地続き」になり、東京で8月に雪だるまが作れる感じになってしまうイメージです。

また、大気中に散らばった火山灰は、水の分子と結びついて、局地的豪雨をあちこちで引き起こします。

降灰した地域では、豪雨によって大量の土砂を巻き込んだラハール(火山性土石流)が発生して、二次災害をどんどん拡大させていきます。

局地的豪雨の後は干ばつもやってきます。大気中の水分のバランスが大きく崩れてしまうからです。豪雨と干ばつが交互に襲う異常気象が、地球規模で繰り返されることになります。

したがって本当に破局噴火が起きていたとしたら、中国以外でも、異常気象の記録が残されていなくてはなりません。そして、中国以外に目を向けると、記録は残っていることがわかります。

ヨーロッパの東ローマ帝国では、歴史家プロコピウス(500頃~565年)が、530年代の記録として、「日光は一年中光を失って月のようになった。きわめて恐ろしい兆候だ」と書き残し、ローマ人の政治家カッシオルドス(485頃~585年頃)は、「夏になっても寒く、北風で冷え冷えとしていた。雨は降らず、作物は育たなかった」と記録しています。

さらに教会には「太陽は1年半にわたって薄暗く、太陽は二度と輝きを取り戻すことはないのではないか。と人々は恐れた」という言葉も残されています。

そして日本でも、異常気象について触れた記述が『日本書紀』にあります。

宣化天皇(位535頃~539年頃)の宣化元(536)年の詔には、「食は天下の元である。黄金が万貫あっても飢えを癒すことは出来ない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」という悲痛な言葉が残されています。

この前年正月の安閑天皇(位531頃~535年頃)の詔が、「このところ毎年穀物がよく稔って、辺境には憂いもない。万民は生業に安んじ飢えもない」と、平和を謳歌した内容だったのと比べると、たった1年で何が起きたのか、驚くばかりの変わりようです。

これらの記録は、破局噴火が起きたかどうかを、直接証言するものではありませんが、「火山の冬」と思われる、世界規模の異変の記録といえるのではないかと、考える人が多くなってきています。

では次から、西暦535年に起きた災害、火山の冬は、地球上にどんな事態を引き起こしたのか、人類にどんな影響を与えたかを、535年から100年後ぐらい後までを目安に、見ていきたいと思います。

始めにお断りいいたしますと、とても暗い凄惨なというような歴史話が多いかなと思いますので、その辺はあらかじめご了解くださいませ。






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Last updated  2019.01.12 13:48:41
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