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あま野球日記@大学野球

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2007.06.01
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カテゴリ:プロ野球
【日本ハム】9連勝、交流戦負けなし(日刊スポーツ)

日本ハムが逆転勝ちで9連勝、交流戦開幕から無傷の7連勝を
飾った。初回に1点を先制されたが、5回に小谷野の勝ち越し
2ランなど一挙3点で逆転。直後に同点とされたが、8回に
金子誠(常総学院高)の左前決勝打で振り切った。


テレビ「すぽると」を見たら、小谷野が本塁打を打つシーン
が映っていた。無造作に伸ばした(ように見える)長髪、
そしてヒゲだらけの顔。そのワイルドな風貌そのままに、
豪快にバットを振り抜き逆転2点本塁打を放った。

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小谷野栄一
創価高-創価大を経て、02年ドラフト5位で日本ハムに入団。

あまりに有名な話だが、江戸川南シニア(中学硬式野球)では
松坂大輔とチームメイトだった、ポジションは遊撃手。この
学年、松坂に限らず選手個々のレベルは非常に高かった。もち
ろん小谷野もそのひとり。

中3のとき、優勝候補筆頭として出場した夏の日本選手権、
江戸川南は惜しくも3回戦で中本牧シニアに敗れてしまう。
その中本牧には、後に横浜高で松坂がバッテリーを組むこと
になる小山良男(現・中日、横浜高-亜細亜大)がいた。

小谷野、高校はシニア時代のチームメイトらとともに創価高に
進学する。当時の実績から見て「甲子園に一番近い高校」
思えたことが進学動機らしい。

そして高校3年の春、読みはズバリと当たり甲子園に出場する。
だが、初戦の相手はPL学園高。せっかくの甲子園も0-9で
大敗を喫し、小谷野自身も4打数0安打といいところがないまま
に甲子園を後にした。

当時のPL、エースは上重聡(現・日テレアナ、立教大)、
ほかに大西宏明(現・オリックス、近畿大)や田中一徳(元・横浜)
らがいた。

そして創価大時代。
所属する東京新大学リーグの02年春季リーグで優勝し、
全日本選手権に出場。ベスト8に入り、小谷野は日米野球の
日本代表チームに選出された。

当時のチームメイトには、早稲田大の和田毅(現・ホークス)、
亜細亜大の木佐貫洋(現・読売)、法政大の後藤武敏(現・西武)、
日本大の村田修一(現・横浜)らがいた。

      (参考:『松坂世代』矢崎良一著、河出書房新社刊)



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Last updated  2007.06.02 02:10:11
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