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【日本ハム】9連勝、交流戦負けなし(日刊スポーツ)
日本ハムが逆転勝ちで9連勝、交流戦開幕から無傷の7連勝を 飾った。初回に1点を先制されたが、5回に小谷野の勝ち越し 2ランなど一挙3点で逆転。直後に同点とされたが、8回に 金子誠(常総学院高)の左前決勝打で振り切った。 テレビ「すぽると」を見たら、小谷野が本塁打を打つシーン が映っていた。無造作に伸ばした(ように見える)長髪、 そしてヒゲだらけの顔。そのワイルドな風貌そのままに、 豪快にバットを振り抜き逆転2点本塁打を放った。 -------------------------------------------------------- 小谷野栄一。 創価高-創価大を経て、02年ドラフト5位で日本ハムに入団。 あまりに有名な話だが、江戸川南シニア(中学硬式野球)では 松坂大輔とチームメイトだった、ポジションは遊撃手。この 学年、松坂に限らず選手個々のレベルは非常に高かった。もち ろん小谷野もそのひとり。 中3のとき、優勝候補筆頭として出場した夏の日本選手権、 江戸川南は惜しくも3回戦で中本牧シニアに敗れてしまう。 その中本牧には、後に横浜高で松坂がバッテリーを組むこと になる小山良男(現・中日、横浜高-亜細亜大)がいた。 小谷野、高校はシニア時代のチームメイトらとともに創価高に 進学する。当時の実績から見て「甲子園に一番近い高校」と 思えたことが進学動機らしい。 そして高校3年の春、読みはズバリと当たり甲子園に出場する。 だが、初戦の相手はPL学園高。せっかくの甲子園も0-9で 大敗を喫し、小谷野自身も4打数0安打といいところがないまま に甲子園を後にした。 当時のPL、エースは上重聡(現・日テレアナ、立教大)、 ほかに大西宏明(現・オリックス、近畿大)や田中一徳(元・横浜) らがいた。 そして創価大時代。 所属する東京新大学リーグの02年春季リーグで優勝し、 全日本選手権に出場。ベスト8に入り、小谷野は日米野球の 日本代表チームに選出された。 当時のチームメイトには、早稲田大の和田毅(現・ホークス)、 亜細亜大の木佐貫洋(現・読売)、法政大の後藤武敏(現・西武)、 日本大の村田修一(現・横浜)らがいた。 (参考:『松坂世代』矢崎良一著、河出書房新社刊) いつもご協力をありがとうございます。 人気ブログランキングに参加中です。 クリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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