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ペルーアマゾンの泥染めとシピボ族の人々

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アマゾン訪問記

2018.12.16
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カテゴリ:アマゾン訪問記
2018年11月の現地訪問の旅の報告をしていなかったので、忘れないうちに、私の心に残る場所の話を記しておこう。


【秘密の湖へ】

その場所はモトタクシーで集落から1時間半くらいだっただろうか。
ベロニカの夫のダビッが運転するモトタクシーは何度も止まりエンジンをかけ直しながら未舗装のひどい道路を走った。



メスチソ(混血の移住者)が勝手に畑にしたという荒れた地の後、郷土料理のファネというチマキのような料理に使う葉(ビハウ)ばっかりがキラキラと巨大に揺れる見たことない畑が続いていた。





【外国人の侵入者】
おじいさんの家に車を置いて、歩いて細い道を抜けていくと、目の前がパッと広がって湖に出る。ほとりにたたずむこの大きな木が私は大好きなんだ。

到着するなりおじいさんが世間話を始めた。
外国人なども滅多にこないはずのこの湖に、グリンゴ(白人)カップルが来て、何やら湖のほとりにテントを張って生活を始めたと。この地をすっかり気に入ってしまったらしく、昼間は女も男も素っ裸で湖で泳いでいたんだ、とケラケラと笑った。グリンゴのカップルはなかなか出て行かず、ある日、この湖の入り口に住んでいるアントニオじいさんのところに来てこの土地が気に入ったので売ってくれと言い出したという。

ベロニカに言わせると、外国人が住み着くと、自分たちだけの土地のように囲いを作り、所有化するため、みんなが自由に来て魚を釣っている湖でも、入り口に門ができて誰もが訪れることができなくなるだろう、とのこと。とんでもないことだ。何てこったと思って聞いていたら、おじいさんの話は続いた。

ある日とんでもない暴風雨があって、湖の水位が上がり、グリンゴたちのテントも潰され水浸しになった。何日も雨が続き、それは恐怖でしかなかったそうだ。それでグリンゴたちは住み続けるどころではなく、息絶え絶えに荷物をまとめて出ていって、もう戻らなかったそうだ。そんな話をして笑っていた。



そこがおじいさんの土地のはずもないが、このじいさんは、明らかに、この土地をみんなのものとして守ろうとしているようだった。訪れる人がたまにいるが、おじいさんがまず尋問して、何しに来たか、魚を獲るつもりなのか、などまるで管理人のように確認している。
ベロニカの旦那のダビはこの人と長い付き合いなので安心だった。

先住民の住居地に外国人が侵入することは御法度だ。だが、ここは実はシピボ族の集落ではないんだ。おじいさんもシピボ族じゃないし、どこから来たのか誰も知らない。





【なんでもある。自給自足とは】
船も漕ぐためのオールも、当然手作りで。それで仕留めるほど大きな漁ではなかったので内心がっかりだったのだけど。獲れたのは、仕掛け網にかかった小さな魚ばかりだった。だけど、とにかく何かしらの魚は必ず取れるため、街へ行かなくとも腹が減って餓死することもなさそうだ。



写真を改めて見ると、人の家の中のものを隅々まで観察してるみたいで悪いと思うのだけど、その時全く見えなかったものが全部見える。ちゃんと組まれた茅葺き(椰子の葉)の高い天井、いろいろなものがぶら下がってること、おじいさんが座ってるハンモックが、漁をする時の網で、両端をロープでぶら下げているだけで完結していること、床の下に鶏もいたことなど。

ごちゃごちゃ物があるようだが、ベロニカが言うに、最初に住み始めた時、家もなければ鍋もハンモックもない何もなかった。そこで暮らしていたと。ベロニカたちが鍋や色々なものを持ってきてあげたという。
一体何者なんだろうか。とっても気になる。
こう見えて、実は、分かりやすく的確な話をし、すっごい冴えてる頭の良さそうな人物なんだ。




【木の実を食す森の自給自足】

カカオを食べた跡がそこらじゅうに散らばる。
食べると言っても、種の周りにまとわりついた繊維質の白くて甘い水分をしゃぶるだけだからお腹にたまらない。動物が食べた跡だろうか、分からないけど、この類の果肉の少ない木の実がそこらじゅうに落ちていた。それらを食べて暮らしているとしたら・・・・そういう自給自足してる人を知らなかったので、なんかすごいなあと思ったんだ。木の実が好きで、その実りや種のことが、ただ好きな私は、それらが散らばっているのがワクワクした。






ベロニカがじいさんの家の鍋を借りて、魚のスープを作るといった。最後に調味料として、「レモンないわよね、持って来ればよかったー」すると、「そのへんに実ってるだろ、レモン」確かにあるよ。
今度は「クラントロ(パクチー)があればよかったんだけど」すると「そのへんにあるだろ」野性のクラントロはより香りが強かった。本当になんでもそのへんにあるのだった。






魚は鱗をとって、洗ってから、塩をたっぷり擦り付けて持ち帰ることになった。
炎天下を持ち帰るために。本当はもっと色々な魚がとれた。

魚つりの様子はまたの機会に詳しく続きを書きます。多分、そのうちに。






最終更新日  2018.12.16 23:30:40
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2018.03.12
カテゴリ:アマゾン訪問記
【あまりに惜しい人を亡くした】

2015 3月25日がテレサの母アナスタシアの一周忌だった。
あの悲しく重々しい日々から、あっという間に1年が経った。

シャーマンの父を持ち、おそらく遺伝もあるのか、シャーマンの助手のようなこともしていた。
泥染を描くデザイン能力も明らかに優れていたし、仕事が丁寧だった。

手に入りにくい材料を大事に使い、今は作り手の少ない「素焼きの壷」もアナスタシアが作るものは本物だった。

木の実のアクセサリーも最後の方まで作っては売っていたが、彼女が作るものはデザインは素朴だが木の実のひとつひとつが選ばれた秘めた美しさがあるので大好きだった。
もうあの人の素敵な作品は手に入らない。








【チャーミングで野生的な人】

この人は誰が見ても「特別にチャーミングな人」と言われるような、笑うと愛嬌があり何か人を魅了するものを持った人だった。決して優しいとかではない。

私が思うに、彼女はとても野性的な人だった。感情はストレート、人に気遣いすることもないし、人間的な嫌らしい部分もさらけだして平気だ。そういう人を野性的と私は思う。



【自分の家で死にたい、と言った】

彼女は2年以上の長い闘病生活の末に亡くなった。おそらく癌で最後にはあちらこちらに転移し痛くて相当に苦しみ、親族の誰からも諦められずに支えられ、しかしあっけなく亡くなった。
病院へ連れて行ったり、シャーマンの自然療法を試したり、苦しむ姿をほっておけずにテレサたちはただ翻弄した。病院でくれる薬は痛み止めのようなもので気休めでしかなかった。

病院が汚くて付き添いも滞在できない上お金がかかるというので「自分の家に居たい」と懇願した。「もう自分の家で死にたい」と、私にもはっきりと言った。



【見えない病気】

何度医者に見せても原因はよく分からなかった。私はやっぱり癌だろうと思ったが、テレサ達は決して癌だということに納得しなかった。

痛みが和らぐこともなく、再び期待できるシャーマンに診てもらおうと、近くの集落に住むレオニダの家にアナスタシアを運んで行ったのだという。
看病する場所を移動したことは自分の母親テレサが長い看病で疲れきっていることを気遣ってのことでもあったらしい。起き上がれないほど重症の病人を抱きかかえて乗り物に乗せたり降ろしたり、不便な地域を移動して遠くまで運ぶという行為がどんなに大変なことか。しかもボートだ。




【病いの結論は黒魔術の呪い】

結局シャーマンの結論は「ある人物がアナスタシアに黒魔術をかけている」ということだった。皆がそれに納得した。かといって病気が治るわけではなかった。

アナスタシアの病状は悪化し苦しみながらも、やはりすぐに家に帰りたいと懇願するので再び連れ帰ることになった日。よりによって大雨の中を、ボートでやっとのことで運びだし、自分の家にたどり着いたのだという。

テレサは濡れた衣類を着替えて休むために自分の家に戻っていた。
その夜アナスタシアに添い寝したのはひ孫のゴルド(8歳)だった。

大雨の夜、集落の闇にゴルドの声が響いた。
「おばあちゃんの息が止まってしまったよー!!」
どんなに恐ろしいことだっただろうか。


つづく






最終更新日  2018.03.12 22:00:18
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2017.12.01
カテゴリ:アマゾン訪問記

2017年11月リマの自分の荷物の片付けもあって、リマ&プカルパを訪問した。
プカルパには2泊したが、集落に半日ほどしか滞在できず、それぞれとろくに話もできなかった。
訪問する予定を前もって知らせていたつもりだったが、驚いたことに、全員が1週間後と勘違いされていたため、受け取るはずの染物もまだ完成していなかった。
このミスは何度も確認しなかった私のミスだと思う。最悪っ!!



さて。
アマゾンの泥染めに欠かせない染料とは、「カオバ(マホガニー)の樹皮」と、遠方の沼まで採取に行かなければならない「鉄分の多い特別な泥」である。

これらが手に入らないという。これまでにも、かれこれ何年も前からこの問題はあって、自力で採取できないテレサなどはこの染料となる樹皮を奥地から運んでくる人からお金を出して買うことが多かった。そのためたまにリマに電話がかかってきて、染料を買う資金が足りないから前払いで出してくれと相談されることも多かった。

一方、ベロニカは夫がよくボードで上流へ狩猟の旅に行くので、一緒に奥地まで旅をして樹皮や泥を見つけて採取してくることが多かった。それも2週間もかかってやっと帰ってくることだった。遠くまでいっても、必ずしも求める染料を十分に手に入れることができるかは全く保障がない。しかもボートの燃料などでかなりの投資が必要になる。そのため、いつものことながら、家族間での協力体制は一切なく、母親であるテレサがどんなに困っていても、染料を分けてあげるつもりがない。

今回はベロニカもテレサも、染料がない、お金がかかる、と訴えていた。作品も少なかったし、中途半端だった。おいおい、なんだなんだー
もっと言えば、白や茶の、素朴な染めだけの大判布はどこにも売っていなかった。だいぶ前から染めただけの昔ながらの素朴な布は見当たらなくなり、蛇の模様の刺繍を派手に仕立てた大判が主流になっている。

アヤワスカが旅行者の間でも流行するようになり、集落はそちらの方向に一気に期待を集めたのだろう。あれが売れると聞けばみんな真似する、今度はこれが売れてると聞けば今やってることもそこそこにして飛びつく。人のアイデアを簡単に盗む。人を裏切っても平気で真似をする。仁義も忠誠心もない。いつまでも、そういう単純な人たちなのだ。あっちだと言えばアッチへ。こっちだと言えばコッチ。右を向いたり左を向いたり、忙しいのだ。結局最後は思ったほどおいしい話じゃなかったと言って不満をいうのがオチだ。これを長年繰り返しているのを観察してきた。なぜ学習しないんだ。

デザインも単一化とまで言わないけど、同じようなものばっかり作っている。デザインのバリエーションが少ない。私にとっては、本当につまらない。どうしたんだ、新しいデザインが生まれないのか?????なーんてことを考えながらため息が出る。正直思ったより良いものが少ないのでガッカリした。どこにもない。常に良いものがどこかにあるわけではないことは知っているが。

1年空けて、特に何も指示をせずに黙って見守ったところ、状況が悪くなっているような気がして、あー、ほっておけば、もとに戻ってしまうんだなと思った。
不毛で、同じことを繰り返し、進化しようと努力をすることはない。
彼らが悪いのではない。

「改善(カイゼン)」の単語は世界の共通語になっているそうだけど、その考えがないだけで、それは別におかしなことではない。私は民族の性質まで変えようと思わない。

染料がなくなって、作り手もなくなって、静かに消えていく運命ならば、私はそれを見届けるだけだ。

その前にやってみたいことは、染料となるカオバ木などの植林をしてみたい。
未来の可能性のために。
そして、これまで集めてきた泥染布たちを大事に扱っていこうと心に誓いたい。



リマの街中でシピボ族が泥染め布を作って安く売っていることが、集落の人たちには相当気に入らないらしい。もっともだと思う。

私から言わせれば、森のある自然の中で染める泥染めは、本当の大地の恵みを集めたパワ−を蓄えた布である。完成品が似たようなものであっても、都会でつくられる染物と、自然の中で生まれるものと同じはずはない。それを人は本物か偽物というふうに見分けられないだろうけれど。

すでに、天然染ではなく、プリントなどの安物が多く出回っている。世界の布工芸の現場でどこでも起きえるように。いやなことばかりを感じた。だから今回気分がとーっても落ち込んだ。
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染料が手に入ったかどうか、近いうちに電話して聞いてみようと思う。






最終更新日  2018.01.22 21:08:34
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2017.11.06
カテゴリ:アマゾン訪問記
以下は1997年に初めてシピボ族のテレサさんと出会い、現地で泥染めを知った時の記録で、リマ在住の川又千加子さんが立ち上げたペルー情報誌「JARU創刊号」に掲載(2000年)されたものです。当時を思い出しながら、妙に懐かしくて改めてここに載せることにしました。どうやら今年は出会いから20周年らしい。









ろうそくの灯りと満天の星空の下で

~人間らしいシピボ族の暮らし~

                                      文・写真:あや


 テレサというおばちゃんがいる。おかっぱのサラサラの黒髪が腰まであって、ナイロン地で派手なピンク色の丈が短いブラウスに、細かい幾何学模様の刺繍が入った布を腰に巻いて、1キロくらいある何重にもなった白いビーズのベルトで腰布を抑えている。アマゾン地帯のシピボ族の典型的スタイルだ。ナイロンのブラウスはそんなに古い伝統ではないらしいが、亀の甲羅のようにも見える幾何学模様は何百年もの歴史があるらしい。髪を天然の染料できれいに真っ黒く染めているためか、45歳にはとても見えない。
 テレサはリマで民芸品フェリアのある時期に、シピボ族の伝統的な民芸品である泥染めの布を持ってやってくる。田舎者が都会で自分の垢抜けない服装を気にするのと同様に、彼女の仲間の多くはリマに出てくるときには洋服を着る。しかしテレサはいつも、民族衣装に冬でも素足にサンダルといういでたちで、リマの高層ビルが立ち並ぶ大通りとバスの渋滞の中、居どころを失いながらも堂々とした歩き方をする。
 目的地まで延々歩いていくという民族衣装姿の彼女を、私は自転車の後ろに乗せて、現代社会の都会の中を私はひたすら走った。文明化と彼女の暮らしのギャップを想像しながら…。



「サンフランシスコ」のテレサに会いに行く
 
 今年の6月、そのテレサおばちゃんを訪ねて、アマゾンジャングルの街プカルパから船に乗って一時間半ほどの、「サンフランシスコ」というシピボ族には似合わない名前の村へ遊びに行った。(乾季は船着場から乗合タクシーで悪路40分程でも行ける)

 船着場でボートを降りると小さな道があった。いったいどっちに行けばテレサの家にたどり着くのか分からない。川岸で子どもたちが水浴びをしているのを見ながら通りすぎると、ひとりの女の子が私に気付き水から上がって追いかけてきた。「テレサおばあちゃんのところに行くんでしょ?」小さな手で私の手を握ると踊るように私を引っ張っていく。川から200メートルほど草むらの中の小道をいくと、崖のように急な坂がある。「アーヤ!」と呼ぶ声。崖を上がったところでその本人、テレサが待っていた。



 村にたった一台あるはずの公共電話に、何度かけても通じず、前日にプカルパの船乗り場であるカヤオ港へ行き、シピボの女性を見つけて(民族衣装ですぐに分かる)、「テレサって知ってますか?私が明日行くと伝えてください」と伝言したのが、ちゃんと伝わっていたのだ。集落の人々はほとんど親戚にあたり、互いを知らない人はいないそうだ。
 テレサの家は木造のこじんまりした一軒家で、板場の奥に6畳くらいの部屋があり、そこに蚊帳を四方に吊って寝るのだ。彼らは木の床に直接布をひくだけらしいが、私のためにどこからかマットレスとかけ布団を運んできた。日中は暑いが朝晩は意外と冷える。彼女にとっては「仕事場(板場)が狭い」とのことで、お金を貯めて増築を計画している。材木をいくらで買って、屋根用の葉を取ってきて…と、「そんなに簡単にできるの?」というようなものなのだが、土地と自分の家を持ち、夢というより現実的な生活改善計画を持つ彼女に少し嫉妬してした。私なんて賃貸アパート暮らしだ。

勉強机のような木の机と、手作りベンチが太陽の下に出ていて、そこにとりあえず落ち着くと、「こりゃあいいなあ…」と、太陽にきらきらと光る緑の木々を見渡しながら大きく深呼吸をした。



私を案内してくれたテレサの孫だというメリーは、ワンピースにおかっぱ頭が可愛くて、色黒な肌とエキゾチックで大きな瞳が魅力的だ。黙って私を観察していたかと思ったら、ふとすぐそこの巨大な木にひゅるひゅると登っていき、下からは見えないくらいずっと上の方にぶら下がっていた、大きな緑色の果物のつるをひっぱってもぎとって降りてきた。無口な少女のおてんばぶりにあっけにとられる。
 その果物は「アノナ」とよばれるチリモヤの野生種で、大きさは直径20cmくらい、表面は柔らかいとげが出ており、中に真っ白い果肉がつまっている。味はチリモヤ同様、ほんのりと甘く上品な香りがする。
 実りは豊かさを感じさせる。11月には庭に取りきれないほどのマンゴーが枝もたわわに実をつけるという。






「その辺」で「なんとか」する暮らし

近所の人だろうか、無愛想なおじさんが通りかかり黙ってピラニアみたいな魚を数匹置いていった。テレサの家は川へ出る道に繋がっているため、たまに人が庭先を通っていくのだ。良いタイミングで魚がきたのでさっそくお昼ご飯にするという。

 台所はどこかしら?と思っていたら、大きな木の下で、その辺に転がっていた薪を持ってきてまな板にし、「クチージョ(ナイフ、包丁)がないわねえ」といいながら(いつも置き場所を決めていないらしい)、その辺にあった柄のないナタで魚の内臓を取り腹に切り目を入れた。火を炊く場所も特定しているわけでもないらしく、やはりその辺に薪をいくつか並べて火をつけた。フライパンに油を入れて、魚を丸ごとフライにして塩を少しふって出してくれた。付け合わせにバナナのフライがついた。外に出ている木の机が実は唯一の食卓だ。
 なんともかんとも、その時その時であれこれなんとかやっているのでおかしくなってしまった。食べ残しや魚の骨などは、その辺にポイと捨てた。裸足で歩いているくせに、自分の家の周りに捨てるなんて…。でも彼女は「大丈夫。犬や豚が来て、1日で全部きれいになっちゃうんだから。ごみとして残るものといったらバナナの皮だけ」と、けらけら笑った。
 家の裏にもバナナの木がある。まだ熟していなくても、甘く熟していても、うすく切って油でフライにしても、主食として食べられる。魚は男たちがカヌーに乗って釣ってくる。
それが全て。そして、それで十分生きていけるはずだった。
 しかし、食べて生きていることだけでは人間は気が済まないものらしい。何かをして、お金を稼いで、生活を少しでも向上させたいと願う生きものなのかもしれない。


泥染めという芸術品

現実的に子どもの養育費にもお金が必要だ。いつの頃からかシピボ族の女性たちは、伝統的な手法を受け継いで、泥染めの布や素焼きの壷、木の実のアクセサリーなどを民芸品として観光客相手に売るようになった。「サンフランシスコ」の民家の軒先でも、ひっそりと民芸品を並べているけれど、1日に1人お客が現れれば良い方だ。だからプカルパの街へ出たりリマへ行商に行ったりするわけだが、そう簡単には売れない。売れないと布を買えない。買えないと仕事ができない。見ている限りではのんきな生活に見えるのだが、現状は厳しいらしい。




さて私を前にして、テレサが泥染めの仕事を披露してくれた。最初から最後まで、その時間の掛かる手作業の工程を見ていたら「こりゃあ大変だ」と、深いため息がでた。
木の表皮を煮出した染料で茶に染めた布に、竹の棒切れのようなもので泥をのせるような感じでいきなりフリーハンドで線を描いていく。一本一本の線を手作業で引いて何日もかけて出来あがる、世界に一枚しかないオリジナル作品なのである。それまでは特に興味も価値も感じていなかったのだが、一枚の泥染めの布に対して妙な愛着がわいてきて、その芸術性もゼロから再評価することとなった。


ろうそくの灯りと満点の星空の下で

 二本の広い道の両脇に高床式の家が並んでいて、小さなキオスク(店)が一つと公共の電話がひとつある。数年前から電気が来るようになった。村のメイン通りに、不似合いな電柱が立ち並んでいた。
 たまたま私が滞在したときには停電中だったため、日が沈むと辺りは真っ暗闇になった。真っ暗闇であっても地元の人々にとってはそれが当たり前のことなのだ。
 月明かりと満天の星空の下で、持ってきていたろうそくに灯を燈し、自然の中での当たり前の生活。
 庭先で、星空をみながらしばらくぼーっとする。電灯の灯りがないから、夜空は星が溢れて降ってきそうなほどで、青白い天の川が浮かび上がって見えた。何も余分な音がない。することもない。

 暗闇のなか、ほったらかしの木造机の上にあぐらをかいているテレサと私。
「普段、夜はなにしているの?」
「なーんにもしないわよ。こうして星を眺めて、あとは寝るのを待っているだけ」
 そしてけらけらと楽しそうに笑った。
 彼女の言うことが、あまりにも単純で、あまりにも素朴で、あまりにも当たりまえのような気がして、そりゃあいいやと、一緒になってたくさん笑った。
 彼女がけらけらと笑うとき、いつも気持ちがすっとする。小さな悩みなんてないような、自然の中で生きている、天然のおおらかさと強さがある。
 明るくなったら目を覚まし、お腹がすいたら食べ、太陽の下で仕事をして、暗くなったらさっさと眠ってしまう。それが自然で、あるべき人間の生活だったのか。
何週間も、できれば何ヶ月もそこで暮らして、その生活に溶け込んでみたかった。でも、数日いるうちに、たまには肉を食べてはどうだとか、なべがもっと必要だとか、あれがあったらいいのに、と「便利な文明」をそこへ持ちこもうという考えが自然に起きてきた。

 素朴に昔ながらの生活をしている人々も、外部と接触するうちに次第に文明化を望むようになる。それがいいことなのか、残念なことなのか、私にはどうしてもよく分からない。

 実りのある大きな木々に囲まれた彼女の一軒家の環境は、騒音と人ごみの中で疲れ切っていた私にとって、まさに求めていた別世界だった。逆に、ここの人たちにとっての「都会」は、どんな別世界に見えるんだろう。

 なにはともあれ、なーんにもないところで、なーんにもしないで過ごす楽しみを、久しぶりに思い出させてくれたのが「サンフランシスコ」のテレサさんなのだった。


おわり               
ペルー情報誌「JARU創刊号に掲載」2000年 (一部修正)
 





そして、この後すぐ、この不思議な模様の染めものの価値を説明するため手書きのパンフレットを作って、身の回りに紹介するようになり、付き合ううちにシピボ族の人々の習慣や暮らしぶりに興味を持つようになった。現地で小学校に入るこどもたちと出会ったので、ノートやボールペンをお土産に抱えて度々集落に通った。当然ながら、この文章を書いている時点では、その後も泥染布とずっと関わっていくことなど想定していない。

ただ、自分が布を買い取ることで泥染めは作り続けられる、彼らの生活を少し支えることができる、単純な考えで付き合いが始まっていた。一時的なことと思っていたし先のことなど何も考えていなかった。

そして20年、今に至る






最終更新日  2017.11.07 09:11:06
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2015.05.22
カテゴリ:アマゾン訪問記
2015年5月

【森の墓地へ】

アナスタシア1周忌の次の朝、テレサと子供達と一緒に歩いて村はずれの古い墓地へ墓参りに行った。

アナスタシアの父の代にこの集落が作られ、カトリック宣教師が入植してから100年、その頃からの強豪な先祖たちが眠る墓地だ。

子供達は道すがら墓に供えるための花を探して歩いた。

【おばあちゃんは特別な存在】

生まれてからずっとアナスタシアの側で一緒に暮らして来た子供達(テレサの孫=アナスタシアのひ孫)。
親がまともに子供の面倒を見ないので祖母(この子達にとっては曾祖母)が面倒を見ていることが多い。
私が知っている限りでも、この子たちは赤ん坊の頃から、おばあちゃんに抱かれ、おばあちゃんと一緒に日だまりに居た。
子供達は当たり前のこととして、おばあちゃんの世話をし、看病を手伝っていた。


【泣きつすことで悲しみを乗り越える】
おばあちゃんを亡くした悲しみは親子の関係よりも深かったのかもしれない。
一周忌の儀式の時には涙を出せない子もいたが、大きい子はずっとずっと声をあげて泣いていた。





【おばあちゃんに捧げる花】

お墓参りのこの日、子供達は笑顔を見せ、踊るような楽し気な足取りで墓地への炎天下を歩いた。
添い寝をした大雨の夜におばあちゃんの最後をひとり看取った少年ゴルドは、口数が少なく泣きもしなかったが、お供えの花を一生懸命探して力強く歩く姿は、おばあちゃんために墓に向かう嬉しさに溢れていた。


儀式に向き合ったことで、それまでの重苦しい悲しみを乗り越えることができたような、清々しさがあった。

彼らは我々が思うよりも、汚れなく純粋でダイレクトな感情を持っているように思えた。





【森の中に眠る墓】

墓はひっそりとそこにある。森の中だ。
去年私は、アナスタシアが死んだ時に、供養のための資金を出して、彼らは墓に供える十字架と墓の上のトタン屋根を作った。入り口からすぐのところだ。

人は滅多に墓を訪れていないようだ。毎年お墓参りをしたり管理をしたりする習慣や文化がない。
花を生ける花瓶もないので、根っこごと取って来たお花を墓の四方に植えた。

【アナスタシアが死んだ嵐の日】

アナスタシア(テレサの母)が死に、次の日に埋葬する時、大雨でひどい嵐だったそうだ。
参列者がみんなびしょぬれになって、ドロドロの墓地まで歩き、墓穴を掘って埋葬した。
テレサは泣きはらし、疲れと悲しみで、ここに泣き崩れたまま、立ち上がれず、歩くことができず、人々に抱えられて家に戻り力尽きて眠ったという。






【草むらの中に放置された先祖の墓は】

多くの先祖の墓が草むらの中で放置された状態にあった。

100年以上前からのシピボ族の先祖達が眠る森。
墓は森の奥の方まで続いており、もう埋葬する場所がなくなってきているので、最近は手前の空き地に向かっている。




【シャーマンがアヤワスカで見る墓場のネオンと死者の酒盛り】

一緒に墓参りに来た、遠い親戚だという男の話では
シャーマンらがアヤワスカを飲んでこの墓に来ると、ここはまるで摩天楼のネオン輝く大都会のように光が明るく賑やかに見え、光り輝く空間の中で、先祖達が楽しげに酒盛りをしているというんだが・・・・・・


真っ暗な墓がネオンの都会のように輝いて見えるなんてね・・・・
どんな先祖たちが眠るお墓なんだろうか。






最終更新日  2018.03.12 20:41:27
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2015.05.01
カテゴリ:アマゾン訪問記
2015年の記録

【シピボ族の一周忌】

たまたま家族旅行の日程がテレサの母アナスタシアの1周忌に重なっていたので、夫と子供は先にリマに帰り私はテレサの家に数日間残ることにした。しかし儀式の日が帰る日と重なっていてガッカリしていたら3月25日のはずを24日に前倒しにしてくれた。
そんな大切な親族の行事の日程を替えてしまい申しわけなかったけれど、儀式の挨拶の中で「長年の大切な日本人の友であるAYA BABAが来てくれたので一日ずらしました」と何度も大げさに説明され感謝された。


私にとって「シピボ族の一周忌の儀式がどんなものか」という関心事でもあったけど、それ以上に出席することに意味があった。だがしかし、テレサの娘たちベロニカもレオニダもアデリナも欠席だった。れぞれの理由があったけれど、親族の大切な行事を優先にできない感覚が全く理解できなかった。
テレサも強要するわけでもなく、母アナスタシアの葬儀に関して中心になるのは、長女のテレサ、妹のアデリアと弟で、残る三人は集落に住んでおらず欠席だった。儀式に来ていたのはアナスタシアの妹の家族、親族、親戚、つまり集落の人々の全てが遠い親戚にあたるので他にも沢山の人が集まった。
盛大に1周忌の儀式をすることが自分たちの勤めだというように、テレサは準備に気合いを入れていたのが感じられた。参列する人々に食事をふるまうというので私は料理を手伝うつもりだった。


【ニワトリ10羽分の料理】

前日、ニワトリを10羽買うといって、市場へ。前日に生の肉を買うわけにはいかないから生きたまま買うというのでビックリした。時間とお金を使ってわざわざ街へ出て市場へ行ったのに、結局は当日の朝早く行って10羽分の肉を買って来よう、と計画を変更した。

冷蔵庫がないので保存できないことが全てだった。

当日朝になって私は留守番することにしたが、テレサが買い物から帰って来たのは午後だった。確か午前中に墓参りもする計画だったはずなのに。

新鮮な鶏肉をバケツに豪快に積みあげて帰ってきたものの、おもてなし料理準備は始まらず、自分らの食事をのんびり作って食べて、結局はダラダラと午後になっても作業は始まらなかった。

私は料理を手伝うために、全く切れない包丁を心配して前の日に新しい包丁を2本も買ってきたのに「料理を作るのは集落の料理担当の女たちがやるから何もしなくていい」と言い出した。なーんだよ!!

実際、私は何も手伝うことはなかった。ので、早々に切り替えて染め物をして過ごした。夕方になって暗くなって、やっと人々が動き始めた。なにもかも、いい加減だ。どうなるか分からん、まあここまでは想定内だった。




【儀式に欠かせないシピボ族の伝統楽団】

場所はアナスタシアが住んでいた場所で、
中にあった蚊帳や色々なものを全て撤去すると広いスペースができた。


何よりも儀式になくてはならないのは音楽だ。
大太鼓と小太鼓と縦笛、これがそろわなくては何も始まらない。

まだまだかと待ってやっと9時になって楽団が来た。
全員この集落出身のシピボ族の若者だ。
楽団の演奏がなかったとしたら、じめじめした通夜のようなものか。

縦笛の甲高い音がなり響き日本のお囃子のような独特の演奏が始まる。
すべてこの楽団の演奏によって儀式が進められるのだ。


大きく盛り上げたり静かになったりを繰り返し、人々の心を揺さぶっていく。




【泣き女の合唱】

不思議とこの音色の誘導によって、人々が下を向き泣き始める。
笛と太鼓の音がどんどん大きくなり、それにともない、数人の女性が奇妙なリズムのある泣き声をあげ、それにつられるようにして周りの人も声をあげて泣いた。
それは不思議な感じで始まる泣き声の合唱みたいなものでもあり、実際ギョッとするような、奇妙でうすらコワい出来事だった。
  

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その奇妙な泣き声が「泣き女」の仕業だったとは後から確認して分かったことだ。韓国にそういう職業的に泣いて盛り上げる役割の女がいるというのをテレビの情報で知っていたのでもしかして?と思ったのだ。不思議な声を出していたのは親族のうちの2人の女性だった。仕事として泣く女ではないが、泣き声をあげる役が決まっていたようだった。

【大声で泣いて喪があける】

太鼓と少し悲しげな縦笛の音によって悲しみの感情をもり立て故人を思い起こして思い切り泣き、すっきりさせるための儀式なのかと妙に納得した。確か他の人の1周忌の時にも、大声で皆で泣いて喪を開けさせる儀式の話を聞いた事がある。それはとても分かりやすいことだった。



私はテレサのとなりに座り、神妙に周りを伺っていた。テレサは下を向いて心を鎮めて泣く事に集中しようとしているようだった。
誰よりも一緒に過ごした孫やひ孫たちは心から悲しんでいる様子があった。皆が一人一人泣く事に集中しようとしているように見えた。そして泣いていた。一方で外の広場では男たちが地酒のチチャなどを飲んで大越で話したり笑ったりしているのだった。

【そろりそろりと踊り続ける】


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11時頃になると、踊りが始まった。踊りといっても、そろり、そろりと、前にいったり後ろに下がったりしてゆっくり歩いている感じの踊りだ。
皆が楽しそうに踊るものではない、儀式としての踊りだ。最初はテレサを含む親族が数人で踊った。テレサに手を引かれて私も一緒に踊った。テレサの動きにオロオロ足を絡ませながら動いていただけだけど、太鼓のリズムに合わせて神妙に踊った。

この間も、テレサと妹のアデリアは時計を気にしながらこの儀式の進行を気遣っていた。
どうせ、てきとうに始まって、ダラダラやって、てきとうに終わるのだろうと思ったが、そうではなかったのだ。
儀式は計画的な流れにそってキチンキチンと進んでいた。親族内の連係プレイを見た。


【喪があけると新しい世界が始まる】

12時になった時に喪が明ける。


故人の直接の家族、つまり子供達、テレサと妹と弟の三人がそれまで着ていた服を脱ぎ、アナスタシアの妹にあたるおばあさんが手を添えて新しい明るい色の服に着替える。そして新しい気持ちになって再びメインの家族が踊りを踊る。しばらくして他の人も入って踊る。

この間に音楽は盛り上がったりしながらずっと続けている。そろそろと、お酒や炭酸水やらの飲み物が振る舞われる。親族の誰かが一人一人に飲み物をついで回るのだ。チチャの他にアグアルディエンテといって、アルコールにコーヒーやら砂糖やらを入れたカクテル風の飲み物があった。これは酔いが回りやすいので私は酒は一切飲まないことに決めていた。

12時を過ぎて踊って、儀式も一通り終わると、食事がふるまわれた。若い子供達数人がよく気を利かせて働いていた。
食事はアロス・コン・ポヨ(鶏肉の炊き込みごはん)だったはずだが、まったくそんな料理には見えなかった。あんなに沢山あったはずの肉も見当たらなければ彩りのニンジンもなかった。料理の係の人が先に食べちゃったんじゃないのか?まあ、でも皆さん十分に喜んで食べていた。





【挨拶がやけに立派な男たち】

テレサの親族もカトリックだというから、神父でも呼ぶのか、誰かが代わりに何かするのかと思っていたけど、宗教的な儀式は最後までなかった。

そしてしばらくすると、男たちの挨拶が始まった。さっきまで肝心な儀式には顔も出さずに外の広場で飲んだくれていた男達だ。

まずはテレサの妹の夫のマテオが、1周忌にあたって立派な挨拶をした。これでうまいこと締めくくった、と思ったら、次に立ち上がったのは集落で教師をしているテレサの弟、なんだか立派な話をしているようだった。アナスタシアの死の直前がどんな様子だったかを詳しく語った。

ひとりが話し終わると待ちきれずに次の男が立ち上がって演説を始める。それぞれがいかにも政治家か?というように立派に話す。実は何を語ってるのか私には何も理解できなかった。シピボ語だからだ。ところどころで、シピボ族の連帯やこれからも前を向いて頑張ろう、みたいなことを言っているようだった。

なぜ、ここに集まってる男達はこんなに立派に話ができるのか?先住民というイメージで人を見ると分からないものだとつくづく思いつつ、いったい、なんなんだ・・・・・「??????」という感じで、同時に、すごいな・・・・シピボ族・・・・おそるべし・・・という民俗の勢いみたいなものを感じた。

10人くらいの男がそれぞれ立派な演説をして、一通りの挨拶が終わって再び音楽を流し始めたので私は逃げ出すことに決めた。

会場であるアナスタシアの家から私の寝床のあるテレサの家まで50Mほどのところだ。人々に話を聞くことも興味があったが、もう2時だか3時だったし、ささっと帰って休もうと思った。






私が帰った後、最後に、コヒーなどの温かい飲み物まで用意されていて、なんとも驚くほど至れり尽くせり、そんな風に順序よく組織的に計画し動けるとはね。期待していなかっただけに、相当関心してしまった。

そして、テレサの子供が誰もこの儀式に参加しなかったことは、次の世代に受け継げないことだとしみじみ考える。
面倒でお金もかかり無駄な時間のように思われる伝統的な儀式は、ほっとけば少しずつ消えて行くのかもしれない。

つづく






最終更新日  2018.03.12 21:35:12
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2015 3月25日がテレサの母アナスタシアの一周忌だった。
あの悲しく重々しい日々から、あっという間に1年が経った。

シャーマンの父を持ち、おそらく遺伝もあるのか、泥染を描くデザイン能力も明らかに優れていたし、仕事が丁寧だった。
手に入りにくい材料を大事に使い、今は作り手の少ない「素焼きの壷」もアナスタシアが作るものは本物だった。
木の実のアクセサリーも最後の方まで作っては売っていたが、彼女が作るものはデザインは素朴だが木の実のひとつひとつが選ばれた秘めた美しさがあるので好きだった。

この人は誰が見ても「特別にチャーミングな人」と言われるような、笑うと愛嬌があり何か人を魅了するものを持った人だった。決して優しいとかではない。
私が思うに、彼女はとても野性的な人だった。感情はストレート、人に気遣いすることもないし、人間的な嫌らしい部分もさらけだして平気だ。そういう人を野性的と私は思う。

彼女は2年以上の長い闘病生活の末に亡くなった。おそらく癌で最後にはあちらこちらに転移し痛くて相当に苦しみ、親族の誰からも諦められずに支えられ、しかしあっけなく亡くなった。
病院へ連れて行ったり、シャーマンの自然療法を試したり、苦しむ姿をほっておけずにテレサたちはただ翻弄した。病院でくれる薬は痛み止めのようなもので気休めでしかなかった。
病院が汚くて付き添いも滞在できない上お金がかかるというので「自分の家に居たい」と懇願した。「もう自分の家で死にたい」と私にも言った。

何度医者に見せても原因はよく分からなかった。私はやっぱり癌だろうと思ったが、テレサ達は決して癌だということに納得しなかった。
最後の方で再び期待できるシャーマンに診せることになってひとつとなりの集落のレオニダの家にアナスタシアを連れて行ったのだという。
看病する場所を移動したのは母親テレサが長い看病で疲れきっていることを気遣ってのことでもあったらしい。抱きかかえて乗り物に乗せて病人を運ぶという行為がどんなに大変なことか。しかもボートだ。

結局シャーマンの結論は「ある人物がアナスタシアに黒魔術をかけている」ということだった。皆がそれに納得した。かといって病気が治るわけではなかった。
アナスタシアの病状が悪化し苦しみながらもやはり家に帰りたいと懇願し、よりによって大雨の中をボートでやっとのことで自分の家にたどり着いた。テレサは濡れた衣類を着替えて休むために自分の家に戻っていた、アナスタシアに添い寝したのはひ孫のゴルド(8歳)だった。
雨の夜、ゴルドの声が響いた。「おばあちゃんの息が止まってしまったよー!!」怖かっただろう。


つづく












最終更新日  2015.05.02 01:22:36
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2015.04.25
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最終更新日  2017.09.09 19:07:40
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2014.06.12
カテゴリ:アマゾン訪問記
都会の喧噪から逃れ、静かでのんびりした素朴な暮らしを、自然の中に吊ったハンモックでゆらりゆらりと揺られたい。多少不便でも、水や電気がなくても、安全であれば2、3日ならどうにかなる。観光地でもないほうが現地の人々の普通の暮らしを体験できて楽しそう。。。
そんな風に思う人もいるかもしれないのだけど、それほど素敵なイメージを持たない方がいいかもしれない。何よりも、どんなに静かでのんびりした空間であっても、年がら年中、蚊との戦いで落ち着きがなく、または近所の人がひっきりなしに訪問して来るので、ゆっくりとハンモックで揺られ昼寝なんてできない。通常、ゆっくりハンモックでゆらゆらできるのは、深夜星の降る涼しい時間帯で蚊も少ないほんのひとときだ。

それでも。ひとときであろうがなんであろうが。
とにかく広いいつもの縁側と、ハンモックは私の中で絶対なければならない空間なのだった。

それに、何よりも。
広い縁側である板の間の空間はハンモックのためではなく、150cmもある大きな泥染布を広げて模様を描くために必要な空間なのである。



マンゴーの木の下で.jpg

子供が修学旅行に出る日程を確認し早めにプカルパ行きを決めた。

つい先日シピボ族のテレサとベロニカがリマに来てて会ったばかりだけれど、仕事の発注に関して遠隔操作だと何かと失敗が生じ、直接じっくり打ち合わせし確認することが大切だと思っていたのだ。旅費は多少かかるが、彼らが勝手なものを間違った方向で沢山作ってしまった場合の損失も大きいわけで。

いや、それよりも、自分が遠隔操作には追いつけない。いつもいつも余裕のない状況の中で、次の月の分として布を送らなければならない時に、すぐに必要なものが思い当たらず、とにかく何でもいいからと細かい指示をせずに布を送ってしまうことになり、そうするとまず布の分配で問題になり、サイズやどんな風にとかいうことを電話で指示したりすると伝わらないことがたまにあり、その結果をやりくりする労力と慎重に打ち合わせるのとどちらがお互いのためかを考えていたわけだ。

今回は他にも気になることがあったりして、行かなきゃと漠然と思っていた。

そうそう。行かなきゃ行かなきゃと自然と思っていたのには他にも理由があったんだ。

テレサの家の一部増築の話だ。

ずいぶん前から相談されていたことだ。

いつからだったか。一年前だったか。もともとハンモックに揺られたり泥染作業をするための広い縁側スペースだったところを改造し壁で囲んで台所にしてしまっていた。外にあった台所に泥棒が入ったことや、暴風雨の際にも落ち着いて炊事などができるようにということだったか。
そこにはガスのコンロも設置され、それはそれで我々のような訪問者が自炊するには好都合だったが、仕事場だったオープンスペースがなくなってしまった。布を広げて広々と仕事をするためのゆっったりしたスペースがなくなったのだ。

それよりも、私の何よりもの楽しみである、ハンモックに揺られるためのくつろぎの空間がなくなったというのは一大事だった。

ここ2年ほどの間は、テレサは母親の介護でつきっきりだったので、ろくに自分の家で染め物の仕事ができなかったので、母親の家の広い縁側で母に付き添いながら細々と作業をしていたため必要に迫られる状況ではなく、また建築などの余裕などなかった。



この間に、どこに作業場を再建築するかという話をたびたびしていた。お金がかかる。
柱となる材木、床板の資材、屋根にふく椰子の葉、すべてが近年何倍もの値段に上がっている。

しかし、広い板の間の作業場=私がくつろぐスペース、これはどうしても必要だ。

どこにするか。河を見晴らしの良い崖の上に、という話があった。
その話をするたびに、さぞかしそこでハンモックに揺られたら素敵だろうにと想像して楽しんでいた。
一部を援助するか、前払いして、とにかく建築を実現させようと心に決めつつ、様子を見守っていたところだった。

眺めの良い丘から.jpg

それでいよいよという時で、少しずつ資材の準備が始まっていた。
自分の場所といえる場所が欲しい。ならばもし援助するならば、どんな具合なのか進行状況を見るために実際に行かねば手遅れになる。
そういうことがあった。


基礎土台を打ち込むなどの大工仕事は始まっていたが、当初予定していた見晴らしの良い場所ではなくて、通りに面した家の敷地の入り口付近だ。
こんなところでハンモックを吊っても通りを歩いてる人にジロジロ見られて落ち着かないだろうとガッカリした。この投資は中断だ。

問題は。
ちょっと前にテレサの庭のシンボルだった大きなマンゴーの木を切り倒した。
このマンゴーの巨木は50年も前にテレサが生まれた記念にと父親が植樹したものだった。根っこが大きくうねって周囲に張り出していた。
毎年マンゴーが実ると高いところから落ちて来て危険だったという。葉の掃除も大変だった。それよりも深刻だったのは老いた巨木が嵐の時に母屋のある側に倒れてきたとしたら大惨事になる。このマンゴーの木が嵐で揺れる度に恐怖だったという。それで電気ノコギリを持っている人に頼んで切り倒したのだ。内心私はがっかりした。あの大きな木が大好きだったのにと。仕方がない命の危険には変えられないんだ。

マンゴーの巨木を伐採したのはいいが、切り株が残った。
そして根っこは我々が想像するよりもずっと広い範囲に根を張っていた。

建築を予定していた眺めの良い場所、そこまで根っこが張り巡らされ、小屋の建設のためにはこの根っこを掘り起こさなければならず、この作業には人手と時間が途方もなくかかるとのことだった。今更そこに時間がかけられないという結論に達し、建設場所を変更した次第だった。

それはがっかりなことであった。 


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最終更新日  2014.09.24 07:01:27
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2012.12.20
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今回の訪問はたまたま12月のクリスマス直前の時期になってしまった。10月に行くつもりだったのに予定が伸びに伸びて深い意味もなく「行かなきゃ」という気持ちが強くなっていて、とにかく休みに入った息子(3年生)とふたり旅立った。世の中が最も落ち着かない&色々なことが混んでいる時期。

混み合う空港から飛行機で大きな荷物を運び出した。どこへ行くのかというような大きな荷物が4つ。ひとつは私と息子の着替えが入ったスーツケース。他は、わざわざ遠くまで運んでいるのがバカバカしくなるような、なんともつならないお土産ばかりである。

1。パネトン
いつもならこの時期、パネトンを4個をなんだかんだ古着や荷物と一緒に送る。シピボ族の人々はクリスマスにパネトン(巨大カップケーキ)を食べないと気が済まない習慣をいつから身につけてしまったのだろうか。パンを食べる習慣もケーキを作る習慣もない集落で、こんな甘いパンを昔から食べていたはずはない。

去年はテレサがリマに居たのでパネトンはリマで手渡し、テレサは自分の母親にも食べさせようと集落の家に持ち帰った。しかし大事にとっておいたパネトンが盗まれる事件が発覚した。後から顛末を電話で聞いたけど犯人は近所の青年だったらしい。屋根から台所に侵入し、砂糖壷とパネトンが盗られた。テレサが「せっかく大事にしまっておいたのに」と、あまりにがっかりしていたので、気の毒におもい後から再びパネトンを送ったのだった。

ベロニカとレオニダには、確かにふたつ一緒の荷物に入れて送ったのに、「一個しかなかった」と言われ、他の荷物でペッちゃんこになっており。とにかく毎回なにかしらパネトンのことでひともんちゃくあるのだ。みんな大人のくせにパネトンが欲しい。いや、子供達や周辺の人と分け合うわけだけど、人数が多いからいくらあっても足りない。


ペルーではお世話になっている人や、会社から社員やパートナーに「ご苦労さん」という気持ちをこめて贈るので私もM女史やテレサ・ベロニカ・レオニダには当然のこととして毎年必ず贈る。「パネトンもなくお金もなく寂しいクリスマスだ」と言われるのは心苦しい。今回の旅行ではとっても荷物になるけど、パネトンを3人分持って行く事にしたのだった。スーパーで一番安いのを買った。地元ではもしかして売ってないのかなと思ったが、やはり売っていた。けっこう高かった。

2。大きな洗剤

その他にとても重いのに洗剤大袋も3人分。3人が共通して欲しがるものは、何故か洗濯用・食器用の「大袋の洗剤」。なぜこれをそんなに欲しがるのか今もまだよく分からない。米を買うのと同じように、必要なら町で買えるものなのだ。確かにリマで売っているような巨大サイズはないし少し割高だ。しかし売ってるんだから小袋でも買ったらいいじゃないか。推測するところ、もともと洗剤を買う習慣がないため「高級品」というイメージがあるのかもしれない。金があっても他のものは買えるけど洗剤を買う金はないのだ。欲しいのだ、都会で売っている大袋の洗剤が。

私は洗剤を彼らに買ってやることに抵抗を感じる。自然界において、なくてもよかったものが使われるようになり、森を、水を、土を、どんどん悪くしていくような気がする。森で生まれて育った彼らは、新しい便利なものが自然に及ぼす脅威を、その結果を、まだ学んでいないように思う。もっと環境問題について教育しなければならないと思う。

しかし、欲しいものを何度聞いても、洗剤が欲しいという。

3。古着

今回何人かのお友達から預かったドネーションの古着やおもちゃも持って行った。いつも「古着があったら送って欲しい」と言われる。寒い時もあるがセーターよりは普段から仕事着にもできるTシャツが一番喜ばれる。毎月のように送っているため私の古着は既に尽きている。どうしてそんなに消耗するのかと不思議に思ったが、アマゾンの灼熱の太陽は生地をすぐにダメにしてしまうのかもしれない。いつもぼろぼろになるまで着て、最後にボロぞうきんになる。赤ちゃんや子供達も常に古着が必要だ。山のようにあげても、奥地から訪問してくる親戚などにも分けているらしく、いくらあっても迷惑にはならないようだ。因に町に売っていないというわけではなく、いくらでも安く売っている。

そんなこんなで旅行の荷物はとても大変だった。贈り物以外にこれから仕事をしてもらうための白いコットン布も、テレサさん、ベロニカ、レオニダの三人にある程度平等に分けて渡した。

つい数年前までは、贈り物というと、小学生になる子供達10人分の学用品とお菓子が中心だったが、最近はすっかり大きくなったので私も親である彼らも少しは楽になったな。

アマゾン訪問の初日と次の日はこれらのやりとりと、彼らが山のように持ってくる布を品定めで時間が過ぎた。
ホテルの二階のロビーを快く貸してくれたのでとても助かった。


プカルパ滞在は、半分は賑やかな町中の便利な場所にある定宿で、後半は緑の多い少し贅沢な宿でリフレッシュした。

デング熱のことが心配だったので、サンフランシスコ集落までは行けなかった。
プカルパ市内・郊外まで広い範囲を包囲して殺虫剤をまいて予防対策を徹底した後ではあり、町中では一切、蚊の姿を見る事はなかったし、宿で蚊を何度か見たものの、妙に力なくふらふらしてすぐに捕まえることができるほど弱っていた。

一方、集落はどうなのかというと。そちらの方までは対策が届いていないとのことだった。
その現実を知った。

また、テレサさんの心配ごととして、ウカヤリ州の計画として、集落の橋を工事することと同時に川沿いに遊歩道を作ろうという案があり、それが本格化するとなれば川沿いにある自分の家の敷地を追い出されるかもしれない、という。

まったく地元のことを考えていないアイデアなので私もビックリした。実現しないことを祈るしかない。


ところで、その後のこと。

クリスマス・イブの夜。
うちはごくシンプルに家族で過ごして深夜12時の前から鳴り止まぬ花火も飽きて寝ることに。子供は次の日のサンタクロースからの贈り物が気になって興奮しすぎて寝付けず深呼吸を繰り返していた。やっとのことで寝かしつけてプレゼントを仕込み、そおっと自分も寝ようとしたところ。

突然の電話のベル!!ぎゃーっ!!!誰だ、この深夜に!??起きちゃう!!

大急ぎで電話に出た。やっぱりシピボだ。こんな非常識なこと彼らしかいない。

なんだよ全くと、超不機嫌に電話に応えた。

クリスマス・イブ。レオニダの娘メリーのところにテレサも呼ばれ家族が集まっているという。
今年はポヨ(とり肉料理)のごちそうもある。
「12時過ぎたからクリスマスの挨拶の電話をした。おかげさまで幸せなクリスマスを過ごしている。」
ということだった。上機嫌なテレサにも電話が回って「フェリス・ナビダッ、あや」と言った。純朴に笑っているシピボのテレサの顔がはっきりと見えた。彼女が嬉しいとき、悲しいとき、怒っているとき、反省しているとき、すぐにわかる。

わざわざ、クリスマス・イブの深夜に、私に挨拶をしようと話し合って12時ぴったりに電話をしてきたのだ。
ペルー(リマ)の習慣では12時を前に花火が打ち上げられ、その時に大切な人に電話で挨拶をするためその時間は一時的に混雑で不通になるそうだ。なかなか通じなかったからと少し遅れたことを謝っていた。
シピボ族の習慣であるわけはない。電話だって通常は家にはなかったのだし。
世の中の習慣をすぐに真似したがる彼らが純粋に可愛いと思った。

今年は彼らは幸せにクリスマスを過ごしたのだ。幸せだという気持ちで過ごせたのだ。
そして、その気持ちを遠くにいる私に伝えてくれた。わざわざ挨拶の電話をしてくれた。

初めてのことだっただけに、彼らの気持ちが、とてもとても、嬉しかった。
私にとっての一番のクリスマスプレゼントだった。

それだけで、もう少しやっていける、と思えた。私には十分なことだった。








最終更新日  2013.02.07 12:08:03
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