桐生悠々「東京事件の遠因」
国務大臣の施政演説及び東京事件に関する寺内陸相の報告演説に対する斎藤隆夫氏の質問演説ほど、近頃私たちの意を得たものはない。それは私たちの言わんと欲するところのものを、正に言ってのけたものである。若しも、五・一五事件に先だつ○○事件 それが発表されていたならば、よし発表されないでも、これに言及することを許されていたならぽ、斎藤氏はこれに溯って、当局の非立憲的態度を詰責したであろう。この事件は闇から闇へ葬られ、唯後世史家の批判に待つだけのものとなっている。闇から闇へ葬られたため、当局はこの事件の犯人に対して、寛大過ぎるというよりも、寧ろ乱暴極まる非立憲的の措置を取っている。五・一五事件起らざらんと欲するも得ずである。たとい未遂に終ったとしても、問うべきものは問わねばならない。然るに、政府当局はこれを問わずして、却って、この犯人を庇護するが如き態度を取ったればこそ、五・一五事件が起ったのは断じて不自然ではないのである。そして五・一五事件は、斎藤氏の憤慨したるが如く、軍部内の犯人と軍部外の犯人とに対する刑の量定に、しかく大なる隔りを見せた。これでは、軍人が如何なる非合法的な事を敢てしても、寛大に取扱われると思うのも、是また断じて不自然ではなかった。広田首相のいうところ一大秕政でなくて何であろう。何ぜなら、「司法権は天皇の名に於て裁判所これを行う」ものであって、同一の犯罪でありながら、身分を異にするため、刑の量定にしかく大なる差異があり、しかも規律最も正しかるべく、訓練の最も厳ならざるべからざる軍人を寛大に取扱うに至って、○○の○を冒漬するものだからである。東京事件の起ったのも、これまた断じて不自然ではなかったのである。 斎藤氏はこの間の消息を細叙して、強く当局を誠むるところがあったから、私たちは今これに蛇足を加えない。唯この場合、これに補足して置きたいのは犯罪の模倣性に関することである。しかも、これが国民によって賞讃されるならば、犯罪は、益流行し、益露骨となることである。五・一五事件に対する当局の態度が新聞紙法にいうところ、賞恤的、救護的であったぼかりでなく、一部国民のこれに対する態度もまたそれであったことは、当時減刑運動がしかく盛であったことを見れば思半ばに過ぐるものがある。これは実に怪しからぬことであった。だから、この場合誠むべきもの、責むべきものは政府当局ではなくて、国民それ自身である。たといその動機は至純であっても、犯罪は犯罪であって、何処何処までも憎むべきものである。然るに、これを憎まずして、,却ってこれを賞するようでは、国民そのものがなっていないのである。だから、春秋の筆法を以てすれば、五・一五事件を惹起したものは国民その物である。国民の正義に関する観念と、これに伴う感情が今少しく発達し、訓練され、陶冶されていたならぽ、五・一五事件は起らなかったであろう。起っても、これに次ぐ今回の東京事件は起らなかったであろう。五.一五事件に対して、一部の国民がしかく賞恤的、救護的の態度を取らなかったならば、恐らくぼ、東京事件も起らなかったであろう。 最近軍法会議を再開された相沢中佐の永田中将暗殺事件も、またそうであって、犯人に対して、減刑運動を起すものすらもあった。中には乃木大将遺品のシャツを彼に贈った大馬鹿者すらもあった。死して神となっている乃木大将は地下に於て、どんなにか迷惑がられていられることだろう。否、寧ろ大に憤慨されていられることだろう。再開の軍法会議は東京事件直後の裁判であるから、こうした愚昧な光景を見なかったが、私たちはここに思い及び、今更ながら我国民の愚昧なるに一驚を喫せざるを得ない。深く思いをここに致すとき、最初からその弁護を謝絶すべかりし鵜沢総明氏、及び満井(佐吉)中佐が今これを謝絶したのは当然である。 要するに誡むべく、責むべきものは政府当局、軍部当局ではなくて、寧ろ国民自身である。と同時に、これをして由らしむべきものとしたのは、これをして知らしむべからざるものとしたものは政府当局である。だから、最終の責任者は矢張り当局である。国民にして、かかる不祥事件の原因を知り得たならぽ、如何に愚昧な我国民と雖も、しかく遽にはこれらの犯人に同情を寄せなかったであろう。 (以上、昭和十一年五月)