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カテゴリ:教育
2週間前に引き続き、都立高校にて、進路を自立して考え、計画を立てていく授業の2時間を進行させていただきました。 NPO法人日本スクールコーチ協会の活動の一環です。 私が高校時代には、どのように人生や世界を捉えたらいいのか分からず混沌としていた時期でしたし、学ぶ目的が分からず、受験が終わって入学した直後から、また試験づけの毎日に嫌気が差し、赤点ばかりとる生徒になっていました。 そして、成績がいいことや、勤勉に勉強をこつこつすることに価値を置かれている高校生活でしたから、生きている価値を見出しにくく、本当に辛い毎日でした。 だいたいわたしは、こつこつ何かをするというよりも、一夜漬け方式で勉強する方でしたから、3年生になってから、本格的に受験勉強を始めたのです。 こういうタイプもいてもいいと思うのですが、当時通っていた高校では、価値を置かれていない行動でした。 何のためにそれをするのか?理由を見出した人は自ら行動を起こしていきます。外的な要望があろうとなかろうと、内側の欲求から動いていきます。 進学して学生時代には、大好きな国文学を専攻しました。周りには読書好きな友達ばかり。読んだ小説の内容について語り合うことができます。うれしくてうれしくて、こんな話を友達としたかったんだなあと、つくづく感じたのを覚えています。 すると努力しているという気持ちがなくても、いい成績になるもので、高校時代に赤点だらけだった同じ人とは思えないほどトップの成績となりました。 高校生の方々に、どうしても伝えたいと思うことだけを伝えたら、静かに耳を傾けてくれました。 体験談を話すとき、もっとも耳を傾けてくれる、もっとも届いていると感じました。 後半になってくると、一人ひとりと個別に対話したいなあという欲求が出てきました。 何らかの取り組みをやってもらうとか、何かを伝えるというよりも、対話したい。という欲求です。 対話の中でこそ、その人の個別の独自の本質的なものに触れられる。そして、こちらの評価判断のない接し方を体験してもらいやすいかな、と、コーチとしては感じるのでした。 1年生6クラスに向けて同時開催しましたので、ほかのクラスのコーチの方々からも同様の意見が聞かれました。 それにしても、15歳の生徒さんたちに出逢わせてくれたさまざまな計らいに感謝でいっぱいです。 とんがっている子も、かっこつけてる子も、折り紙している子も、一心に話を聞いている子も、さりげなく聞き耳を立てている子も、どんな状態も最高に自分自身であろうとする、その過程を、十分に生きている。 かけなくても、今は言葉にならなくても構いません。「あなたはそのままでOKです」、と、なんどもなんども言いたくなるのでした。 そして、高校の先生たちに、改めて尊敬の念も沸きました。これだけの大人数の生徒さんたちをまとめて、成長を促していくのですから、相当のパワーと愛情なくしては、できないだろうなあと思いました。 私が通っていた高校は、管理教育の見本のようなところでしたので、人間として接してもらっているというよりも、何らかの欠陥の在る存在として見られている感覚があり、愛情を感じることはなかったのですが、ここの高校でであった先生方は、生徒さんたちのことを思っている、教育という血の通ったかかわりを大切にされている、ということが感じられる方々でした。 慣れない進行にもかかわらず今日も2時間付き合ってくれた1年生のみなさん、ほんとうにありがとうございました。 そして、自分の人生を生きて行っていただきたいと願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年05月15日 05時07分21秒
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