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カテゴリ:自然
今年春から、山梨県都留市で10数名で田んぼを借りて、自然農によるお米作りを始めました。 全員が素人なので、なかなかに楽しくもあります。 昨日、今日の2日間で、畦塗りということをして、そして苗床の草取りをしました。 当たり前ですが、鍬を持って土を掘り返したり、畦塗りのためにショベルを土にさして、掘り起こすと、たくさんの虫たちが姿を現します。東京で暮らしているとお目にかかれないさまざまな虫たちが にょろにょろと、がさごそと、ぶんぶんと、たくさん飛んだり、泳いだり、歩いたりしています。 日ごろ街で見かけたとしたら、「キャー」とでも言いそうな虫たちですが、なぜか土の上で出会うと、自然な感じがします。 田んぼに水を流す量を調整すると、明らかに水量が変わります。 数日前に苗床の草取りをしてくれた人がいたというのに、もうかなりの草が生えています。 生きている命とともにいる感じが湧いてきます。 そして、かがんで草を抜いていても、ショベルで土を掘り起こしていても、ともかく体が疲れます。 お百姓さんたちがこんな風にしてお米を取ってくれているのだと思うと、ほんとうに食べられることのありがたみを感じます。 苗床の草取りをしていると、ほかの草が生い茂っているあたりにある苗の方がよく育っていることに気づきます。 そして、日ごろ私たちが「雑草」と呼んでいる、農作物以外の植物は、実は悪いものでも邪魔なものでもなんでもなく、そこに日影を作ったり、競争することで苗が強くなったり、苗を食べる害虫を食べる虫を住まわせてくれるものもあるのです。 先日NLPプラクティショナーコースで「リフレーム」についてご紹介したのですが、まさに雑草に対する、あるいは害虫に対する概念が変わります。 人間を中心にして、効率よく農作物を収穫する、という視点の方からすると「害虫」や「雑草」という見方になっています。 しかし、自然界のものには食物連鎖があります。すべては有機的につながっているのですよね。 たくましく根を広げて生えている草や、さまざまな種類の虫たちを見ながら、ああこれらすべてには存在する肯定的な理由があるのだなあと感じ入ってしまいました。 帰りになって、一緒に作業していた仲間が言いました。 「稲作文化の日本に、どうしてコミュニティが必要だったかが分かるね。」 そうです。協力し合ってしなければ、一人ではできないのがお米作りであるように思いました。 集団で、和を重んじ、異端を嫌う風土というのは、そもそもこうした、お米を確実に収穫するために生まれた知恵であるのだなあと思いました。 お米を作ろうとして動いてみることで、多くの気づきが起こっています。 体験ほど豊かな学びはないですね。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年06月18日 01時02分35秒
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