|
カテゴリ:カテゴリ未分類
一昨日のつづきです。 CTI10周年記念イベントに出て、改めて思いました。コーチングが少し前の時代に出現したことの社会に与える意味について。 人は、創造する生き物だと思います。それはこれまでの歴史を振り返っても明らかです。 しかし、産業革命以後、日本では明治維新や第二次世界大戦後、産業が発達するにつれて、便利な生活を享受することと、高度な経済発展によって、自ら思考し、発想するという力を発揮する場面が少なくなったのではないでしょうか。 わたしは、自ら考えて創造することや、自らの意見を言うことを、学校教育ではほとんど学んできませんでした。 20歳のときに短歌の会(歌会)参加したとき「あなたはどう思いますか?」と問われたとき、本当に困ったことを覚えています。 どれが正しいのか分からないから、その歌を鑑賞した意見を言うことができなかったのです。 どこにも正解はないのだから、自分の考えを言えばいい場だったのですが、思っていることを口に出していいとはつゆも思わずに生きてきたことに、そのとき愕然としたのでした。 便利さ快適さ、巧妙なる教育のもとに、外に答えや指針があり、従うことが生きることだと思い込んでしまってきていた そのことに気付き、目覚めていく課程をもたらしたことが、コーチングが生まれ、発展してきた功績だと思っています。 自分で考えて創造する、人間そのものの持つ資質を、ふたたび呼び起こしてくれたのがコーチングだと、私には思えています。 そして、人と本当の意味でつながることや、何のために生きているのかに目覚めていくということを促してくれました。 ここでNLP実践者として思うのは、NLPが一度80年代に日本に入ってきて、それから一旦廃れ、ふたたび90年代後半から学ばれ始めてきたのは、相手の中にある答えや可能性を引き出していくコミュニケーションのあり方の浸透とともにあったのではないか、と思えてなりません。 NLPにも基本前提というものがあり、たくさんの、人生を豊かにする示唆に富んだ、人や人生に向かうときの信条のようなものがあります。それが、時代背景との結びつきで受け入れられ始めたのが、コーチングの広がりと符合したのではないかと。 そして、コーチングが10数年前にこの世に生まれたとき、それは、哲学的思考や対話を日常的に誰もが行えるそんな仕組みとしても歓迎され、また、毎日の多忙で複雑な業務や、生きるたの生活をこなすことで精一杯で、「何のために生きているのか」「なぜ生きているのか」を問わず、感情にふたをして思考停止状態で生きるようになってしまった一部の(あるいは多数の)人々に、再び「自ら考える」「人生を味わう」機会をもたらしたといえるでしょう。 コーチングなど学ばずとも自然となさっている方々もいるのでしょうが、また、東洋や先住民の文化には何百年も、何千年も前からそうした智慧はあったのでしょうが、この時代にマッチする形で、誰もが身につけられるように体系化された、必然で生まれたものだと思います。 さて、また話を戻しますが、このCTIの10周年イベントは、CTIの卒業生のみに参加者を限定せず、どの養成機関で学んだコーチも、そしてコーチングに興味のある方はどなたでも参加できるものでした。 CTI創設者の一人であるキャレン・キムジーハウスさんは、長い長い沈黙を大切にしながら、言葉以外のものをつかって、私たちに教えてくれました。 「私たちは、始めた。 次に何をしたら良いのか分からない状態のまま。 そのときの私たちの夢は、小さかった。」 と。 それがいまや、北米では最も学ばれているコーチ養成機関であり、世界中にこの機関がひろがっている。 この、言葉少ない深い部分に届くメッセージを受け取ったとき、 ただ、自分の熱のあることを、どう行動して良いか分からなくとも、「する」と決めて、やっていくということの大切さを感じました。 10周年記念イベントは、コーチングらしく、何の方向性も示されず、自分たちの熱を感じたところに向かって、それぞれが進んでいくための種をもたらしてくれました。 その自律した関係性を世界は求めていると思います。 「私たちは何に呼ばれているんだろう?」 「私たちはその呼びかけにどう応えるんだろう?」 これからの10年に向かって、種は蒔かれた。とてもいい機会だったと思います。 その場に参加しなかった人にも、参加した人が持っている種とともに、また拡がっていく。 感情として、さまざまな種ではあるけれど、感情が動けばそれでいい。 そこにはエネルギーや自律した行動がでてくる。そうした方向に蒔かれた種でした。 一人ひとりが、自ら考え、行動していく。そしてこれから先は、更に深い目覚めへと活用されていくものであると思います。 わたしは、その方向性に、コーチングを初め、NLPも、そのほかの学んだすべてのものを融合させて、発展させていくことを考えています。人と地球が進化するって、どういうことだろう?そんな問いを持ちながら。 このCTI10周年イベントに対しては、批判の声も、いろいろとあったようです。 それがオープンに語られているところに、場への信頼感を感じました。 イベントで行われたことは、細かいことはどうだっていいんだと思います。 そうせざるを得なかったほどの、世界に対するうずきや、思いや、エネルギーは、意識しようとしなかろうとも、既に受け取っているんですから。 どこにいようとも、なにをしていようとも、 ”これから、自分がどうするか。” ”なんのために生きているのか” 常に人生から問われていることはそれ。 ただ、内なる指針に従って、やりつづける。それだけなんだろうなあ。と思います。 批判するということも、一つの行動だと思います。 ただ批判する自分自身にどれだけ気付いていられるか? なんじゃないかな。と思います。 目の前に起こることすべてが、自らが学び成長するために存在しているとしたら、そこから今日、何に気付いてどんな方向へ前進するのか。 もっと、更に、成長したいと思います。 この3日間で出会った皆さん、新しいうねりを起こし始めたみなさん、イベントに心血を注いで創り上げてくれた方々、 どうもありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年07月23日 13時11分58秒
|
|