|
カテゴリ:カテゴリ未分類
前から自分の気持ちの良くないパターンはいくつかあるけれど、
そのひとつは、不当な扱いを受けるパターン。 特に近い関係になると攻撃されることが多い。 そんなに文句を言われる必要もないことにぶちぶち言われて、 基本、最初ははいはいと聞くけれど、概ねは聞く必要もないような ものが多い。 文句があるのなら、本人が自分で対処すべきものなのに、 それに面倒になって引き受けることで甘えられてしまう。 とくに些細な家事とかに多いのだが、人それぞれのやり方もあるし その優劣はそれほどあるとは思えない。 ゆずれないまでいうのであれば、文句ある人間がやればいいだけの話。 私は自分が譲れない場合は相手にやってもらうより、自ら解決して 相手に求めない。面倒だし、わずらわしい。 相手が動くように文句をいったりする労力を無駄と考えるから。 にもかかわらず、相手は私に求める。沿うように努力はある程度するけれど 本来しなくてもいいものなんだと気がついた。 だから、最近はしない。 スルーする。 そして、なんで文句を言われなくちゃいけないのか問い、 私がそれをしていない事実を確認する。 相手にとっていやな習慣はそれぞれにあると思う。 それを改善してほしいという申し出はいけないとは思わないけど どうして、怒りをもって伝えないといけないのか。 それが私にとってのいやなことなんだというのを伝えるようにしている。 がんばって。 何度も言わせるからというけれど、私から言わせると私は相手に自分のやってほしいことを 相手に望んで、無理にそうさせることはしない。 その時点で公平でない。 では私の望むことを私の望むようにできるのかといえば、できないはずだし、今までもされていない。なら、自分がすればいいだけのこと。 ということで自分は折り合いをつける。 そういう事実は見過ごされやすく、文句をいう人間が正当のように評価される世の中はいやだ。 仕事にも人の仕事に文句をいうけれど、概ね、文句言う人は自分の仕事のほうこそ、なしていないことが多い。 もし自分がやるべきことをやって、それ以上のことをしていたとしたら、つながる仕事の人間がどれだけの仕事をしているかがわかるはずだ。 そうなれば、文句など言うどころか、感謝の弁になるだろう。 ま、そこまで言わなくても、思いやっていれば、多少のおめこぼしをもって相手の働きに心の中で感謝する。 周りを責めることで自分の位置を高めようとする人間はいずれは評価されなくなっていくのを見ているし、実際そんな発言行動をとる人は落ちているので、腹をたてる必要もない。 腹はたたないけど、議論はする。 あきらめたくないから、議論をする。 きちんとぶつかる、相手に向き合うとまるでけんかをしているような状況にもなるけれど、それに対してはいやなことではない。 嫌悪という感情なく、相手に近くなりたいという気持ちで言い合う。 そんなことができるようになってきた。 相手はそうとっていないかもしれないけれど。(^^:) でも少なくとも、自分の中に相手に対しての愛情はある。 不満があったとしても。 最近はいやなことや、気分が悪いことをいかに感情をのせずに伝え、相手に改善してもらうかを試みている。 自分なりの手ごたえは感じているが、自分を不当に扱われていることに対してのセンサーが鈍いのは子供のころの、扱われ方だったのだろうと感じている。 無意識下にあるので、自分が不当に扱われることが当然という環境にいたことによって、自分がその環境を招きいれていることにかなり自覚できるようになってきた。 あとは体感と感情にも響かせてほどいていくしかない。 正直、セラピーでそれをするのはかなりいやだけど、時間をみてしてみようと思う。 意識的にもしているけれど、かなり負荷がかかっている。 どう変わるのか楽しみだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/09/05 12:37:16 PM
コメント(0) | コメントを書く |