539741 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

荒尾史学会のブログ

荒尾史学会のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

サイド自由欄

熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
気になる情報が有りましたら、コメント下さい。
タイトルの左端の数字は、YYMMDDです。
本文最初の行の数値は、緯度経度です。Gマップで位置が判ります。

カレンダー

バックナンバー

お気に入りブログ

城好き男の歴史紀行 てっち7さん

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

コンデイ@ Re[1]:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) satakeさんへ 返事が遅れました。 このコ…
本田豊一郎@ Re:180516玉名・岱明・史学会活動・史跡巡り・上の六地蔵(06/28) こんばんは はじめまして 玉名市岱明町大…
satake@ Re:190808熊本・熊本城内・軍旗染血之跡碑(01/03) 荒尾史学会様 初めまして 佐武広(廣)命…
コンデイ@ Re[3]:220315大牟田・三川地区・三川ノート(03/20) 井手 弘さんへ ぜんぜん、大丈夫ですよ。…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2019.10.29
XML
テーマ:史跡巡り(775)
みやま市の松風の関に来ました。 33.09193, 130.53993

国道443沿いに、この表示が建つのみです。大水(おおむつ)と呼ばれています。
 松風の関  松風の関は古代からの築後の国と肥後の国を結ぶ街道が通り、その中で背戸坂と呼ばれた、最も峻険であり要害の地でありました。  平家物語に「寿永二年・・・菊池次郎高直は都より平家の御供に候けるが、大津山の関開けてまいらせんとて、肥後の国にうちこえて、・・・。」とあり、ここに出ている大津山の関が、現在の松風の関を指すといわれています。  寿永二年(1183)当時既に関所として菊池氏によってまもられていたこと、七世紀に作られた古代官道に関所を置いたものであろうと言うことがわかってきています。  その後戦国時代は合戦の度に、肥後領になったり筑後領になったりしましたが、戦国時代の終わりに田中吉政が筑後国三二万五千石の領主として柳河城に入ると慶長六年(1601)、ここ松風の関から北を筑後領としたので、それ以後、筑後領となり現在に至っております。

続いて、柳川・肥後領境界石へ寄り道 33.08115, 130.53966

筑後国の領境界石:湯谷柳川領境界石  ここにある新旧二本の境界石は、江戸時代に筑後柳川領と肥後熊本領の国境を示すために建てられたものです。古い方は、江戸時代初期に建てられたものと思われ、一辺36cmの四角柱の花崗岩で作られています。三つに折れて中段と下段だけが残っており、現在高は3mです。表面の文字は、読みにくく鳴っていますが、次のように判読できます。 「(従是西)北筑後国立花(左近将監)領内柳河札辻ヨリ是迄四里二十町余」  新しい方は、古い方が折れたため江戸時代末期に取り替えられたものと思われます。一辺35cm、高さ3.7mの良質砂岩の四角柱材で作られています。表面には肉太の文字で次のように刻まれています。 「従是西北筑後国柳河領 従柳河札辻四里二十町余」 






以上、90Km程のドライブでした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.09.27 16:15:02
コメント(0) | コメントを書く
[・・南関町・和水町] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.