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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・柳川・久留米
久留米城に来ました。33.32851, 130.50804
立派な石垣など、残っています。 久留米藩では、本城ですが、吉政の頃は、支城でした。 神社があります。 そして、小早川神社があります。 小早川神社:久留米城跡:当神社のご祭神は旧久留米城主の毛利秀包公であります。公は毛利元就の末子として永禄十年(1567)安芸国に出生、初名は元総、一時、兄の小早川隆景の養子となったので、小早川神社と称します。豊臣秀吉に仕え、戦功により久留米城主と成りましたが、関ヶ原の戦で西軍に組した為に領地を失い、本家の領地で慶長六年(1601)に没しました。秀包公は、妻(豊後のキリシタン大名・大友宗麟の七女)の引地と共に、熱心なキリシタンでしたので、この神社の扉にはアンドレアス十字が刻まれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.01 00:00:20
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