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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・柳川・久留米
現在みやま市瀬高町の、松延城跡に来ました。33.14881, 130.49213
案内も標識もありません。 田んぼの中にちょっとした竹林があり、中は畑になっていました。 周囲は、土塁跡と思われます。 瀬高町松田地区に天正12(1584)年に樺島式部が築城したものです。 その後、田中吉政時代に松野主馬によって造営され1万2千石の格式を持った城だったという。 城郭地域では、本丸、東二の丸、西二の丸、南三の丸などの小字名があり、現況がそのまま残されて当時の武家の存在が想像できます。 松野主馬とは関ヶ原のときに小早川秀秋の先頭隊長として鉄砲隊を率いたが、秀秋が徳川に味方する命令を下したとき「俺は徳川と戦うために参加している」と言って戦線離脱をした男です。 吉政は小早川との軋轢を覚悟の上で、彼を男の中の男と見込み家臣団の中では最高の石高を与えて松延一帯を治めさせました。 元和元(1615)年、一国一城令により廃城となりました。 以上で、吉政支城巡りは無事終了しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.07 00:00:18
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