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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・柳川・久留米
清水寺に来ました。33.15251, 130.51891
![]() ![]() (Wikipedia) 寺伝によれば、平安時代初期の806年(大同元年)、唐から帰国してまもない最澄(伝教大師)は、1羽の雉の導きで清水寺のある山に分け入り、合歓(ねむ)の霊木を見つけたという。最澄はこの合歓の立木を刻んで2体の千手観音の木像を作り、うち1体を京都の清水寺に安置。もう1体を安置する堂をこの地に創建したのが当寺の起源であるという。 柳川藩藩主田中忠政の治世中と推察されている資料「田中筑後守殿家人数並知行付帳」に「五拾四石弐斗 清水寺」とある。また、「延宝九酉年知行取無足扶持方共」(1681年)に「同(高)五拾四石弐斗 清水寺」とあり、藩内寺社では13位の位置付けで建仁寺の下、水田天神宮社領の上に記載されている。 1745年(延享2年)には当時の柳川藩藩主立花貞則が願主となって、山門(福岡県指定有形文化財)が建立され、1836年(天保7年)には三重塔(福岡県指定有形文化財)が落成した。 ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.29 00:00:20
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