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2022.10.20
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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・・平山
薬師前阿蘇どん碑に来ました。

(61)薬師前阿蘇どん碑  平山字東山開(付図2-232) 平山小路より小岱山林道に沿うた原田政行氏方前、椿の根もとの土壇上に1基の板碑がたっ ている(図版11(2))。 凝灰岩製、高さ105cm、幅22cm、厚み13cm、山形の頭頂部下に額部をつくり、碑身に銘を入 れるための匡部きょうぶを造りだす。根部は別石の基礎にホゾ穴を窄ち、碑身を差し込むための 出ホゾがある。 銘は、額部に一字金輪仏こんりんぶつをあらわす種子「ボローン」を、匡部に五大種子「キア、 力、ラァ、バア、ア」をいれ、下に「先阿蘇上四位宇治宿弥惟富大低 永禄五年正月日」とあり、 永禄5年(1562)に建てた阿蘇惟富の供養碑である。大低は大祇の誤刻である。 阿蘇大宮司家に見える惟富は、元弘の乱(1331)、大宮司惟時に随って上洛、後醍醐天皇の 六波羅攻めの功臣であるが、ここの惟富は大宮司惟長の孫、天文8年従5位下、天文10年従5 位上に叙せられた。惟富は何等かの理由により廃嫡させられ、系図上より抹消すると記載され てあるので、結局は勘当させられたものと考える。 惟富の供養碑がここにある理由も詳らかでないが、菊池家の相続をめぐり菊池武包と菊池義 武(大友義宗)が、大永3年(1523)争い小代重忠の支援を得た武包の勢が、阿蘇惟豊、甲斐 親宣らに攻略された事件があった。 阿蘇大宮司家はこの頃、惟長、惟富が大宮司職をめぐり、惟長-惟前-惟富と惟豊-惟将 の一族争いが続き、惟富加その渦中で廃嫡されたのではないかと推量される。


この日は、なんと、草茫々で、碑が見えない・・・
一度、通り過ぎてしまう、ほど・・・

以前行った時の記事を御覧ください。
https://plaza.rakuten.co.jp/araosigakkai/diary/202108060000/
以前の写真を。





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最終更新日  2022.10.20 00:00:23
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