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2023.04.15
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南関の古小代の里に来ました。33.004591, 130.522986

小代焼の古い時代の登り窯跡が再現されています。



小代焼瀬上釜跡:
 小代焼瀬上釜は、江戸後期、産業振興を図る肥後藩の政策に沿って、生産が減少していた小代焼を増産させ、他国産の陶磁器の流入に対抗すべく、当時の南関手永御山支配役瀬上林右衛門がみずから窯元となって築窯した殖産窯です。多くの細工人(陶工)を雇い入れ、多種多様な陶器類を大量に生産し、それらは小代焼や五徳焼の商品名で販売されました。このころが、小代焼の歴史においてもっとも盛んな時代となりました。
 平成元年の発掘調査で、陶土の水漉(ミズコシ)し場の跡や、ろくろ場の跡が見つかり、さらに窯が増築されていることもわかりました。このように窯本体のみならず、付属する工房跡まではっきり確認できるのは、全国的にも他に例を見ない、唯一の生産遺跡であり、近世窯業史上きわめて貴重な文化財であります。







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最終更新日  2023.04.15 00:00:21
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