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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・柳川・久留米
大和町の鷹尾神社に来ました。33.1298139,130.4420444 大和町文化财 鷹尾神社石鳥居 所在 大和町大字鷹ノ尾字馬場 鹿尾神社は、平安時代の貞観十一年(八六九)に、清和天皇の 命によって祭られたと社伝に伝えられる格調高い神社です。 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祭神とするこの神社は、もと もと、鷹尾郷の郷社と考えられ、平安末期には、筑後一の宮高良神社の別宮として、京都の待賢門院を本家、徳大寺大納言家を領家とする瀬高下庄の鎮守でした。 源頼朝が諸国に守護・地頭を設置した文治元年(一一八五)の翌年六月、鷹尾郷には、藤原家宗が地頭として任命されています。 文治五年(一一八九)、鷹尾郷の地が、待賢門院の御願寺である京都の円勝寺領の鷹尾別府と呼ばれるようになっても、鷹尾神社は、下の鎮守であったのです。 社の造営・修造は、朝廷および鎌倉幕府・執権・室町管領、鷹尾城主田尻氏、柳川藩主立花氏などの下知(命令)によって行われ、南筑後有数の社として栄えています。 例祭には、流鏑馬・神幸・風流(破牟耶舞)の行事があります。 鷹尾神社古文書三巻は、昭和五二年四月九日に、県の重要文化財に指定されました。 境内には、神功皇后行敬遺跡・神功皇后腰掛石・牛の宮があり、 鳥居は、貞享元年(一六八四)に、藩主立花鑑虎によって寄進されたものです。 大和町教育委員会
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最終更新日
2023.09.05 00:00:30
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