センセイは気楽な稼業ときたもんだ♪
教師百態(1)サラリーマン教師 その1教師百態(2)サラリーマン教師その2昨日は、なぜかこの2本の記事が、改めて読まれていた。この日記という場になるかどうかは分からないのだが、自分の職業人生の総まとめとして、学校論、教師論は、もう少し体系的なものを書きたいと思っている。教師の仕事は、今は「ブラック」と呼ばれ、とうとう教師志望者は小学校で2倍を切り、ss50以下の底辺大学からの合格者も増えているらしい。「学力のない教師」などという形容矛盾の教員は、もはや当たり前のように教壇に立っている。ブラック労働とされる理由はいろいろあるが、一つは部活だ。普通の高校でも、平日は大体7時まで。土日も休まず練習、試合。つまり休日なしの1週間60時間労働というのが部活顧問の平均的姿だ。それに対して、支払われるものは、基本的にゼロ。土日は、自分が覚えている時代は半日で1,500円程度。これに別に部活顧問でなくとも支払われる基本給4%の教員調整手当があるが、それを足しても月に24,000円くらいの残業代で80時間の残業。時給換算なら300円。バカらしくてやってられないと大学生が思うのも当然だ。教員という仕事のやりがいを口実に、非人間的労働を強いる、最近の言葉で言えば「やりがい搾取」が、横行している。さて、一転して、自分の若かったころの働き方をちょっと書いてみよう。初任で押しつけられたテニス部の顧問を3年で外れ(まあ、休日労働はしなかったから、部活顧問から見ればダメなヤツだったからである)、その後は、編集局とかフォークソング研究会などというお気楽な部活顧問。放送局では、副顧問としてちょっと台本の手入れをして、2作品が全国放送コンクールで優勝した。授業は18時間を超えると、非常勤講師の1時間分の手当があった。いろいろ押しつけられて「倫理」をやったりして、超えることが多かった。夏や冬、春は長期の休みで、「自宅研修」が普通に認められていたから、20連休くらいが当たり前。旅行にも行けた。退勤は4時からフリー。授業がなければ中抜けもOKだった。講習をやると手当がつき、一番よかったころは1時間6,000円。つまり、放課後週1回5時半くらいまで働くだけで、部活で毎日働く人と同額かそれ以上の「手当」収入があった。そのうちに、家庭教師やら予備校から声がかかり、模試問題作成者をしたり、いろいろな副業もできた。多分、生涯賃金が2000か3000万ほど多くなったと思う。まあ、それでは恨まれるのも無理はなかっただろう。それで、定年間際に管理職になり、定年が人より2年、後ろ倒しになった。校長の時に、一般企業と同じく労働法を遵守する働き方改革をやって、今は部活動顧問も残業手当を支払い、代休も取れる仕組みになっている。そこから5年「再雇用」。さらに再々雇用の形で非常勤講師の2年目である。そう言えば、こんな記事も、最近よく読まれていた。教師という職業 (最終回) 非常勤講師だから、自分にとっては教師稼業は決してブラックではなかったと言える。といっても、今朝も4時過ぎから、小論文講座の準備をしている。多分全部で10時間以上、2回の講座のために費やしている。それで、手当は7,000円ほど。わりに合わないことも、やっているわけだが、それは本来業務である「教えること」に手抜きができない性分だからだ。少しでもいい授業をするための時間は惜しんだことはない。