カテゴリ:歴史・考古学
いつものように「シュピーゲル」の電子版を読んでいると、考古学関連の記事があったのでメモ。
中世後期(12世紀)以降、ドイツ・ヘッセン州北部、カッセル市近郊のグロースアルメローデで生産された坩堝(るつぼ)はどんな高熱や金属、酸に触れても壊れないというので、錬金術師や陶工の需要が高かった。そこで生産された坩堝は12世紀頃に登場し、15世紀になるとドイツ国内のみならず広い範囲に輸出される。この坩堝はスカンディナヴィア半島、イギリス、スペイン、ポルトガル、さらにはイギリスによる恒久的な最初の北米植民地であるジェイムズタウン(1608年建設。疫病の頻発を理由に1699年に放棄)の遺跡でも発見されている。 この中世の坩堝がどうしてそのような類を見ない強度を誇ったのかは不明だったが、ロンドン大学とカーディフ大学の研究グループがヘッセン州や各国の出土品約50点を分析し、「Nature」誌に発表した。それによると、この坩堝には特別な土が混ぜられており、1100~1200℃という当時のヨーロッパとしては高温の窯で焼かれた結果、ムライトというアルミニウムケイ酸塩物質が形成され、この堅固さが得られたとの事。 ムライトは Al2O3-SiO2系の安定的固溶体鉱物。 通常は化学組成 3Al2O3・2SiO2を指すことが多い。 粘土質原料やシリマナイト族鉱物の焼成で生成し,Al2O3-SiO2系耐火物や陶磁器の構成鉱物として重要である。また合成ムライトを耐火物原料とする。 とのことだが(何がなんだかさっぱり分かりません。泣)、現代の耐火レンガやスペースシャトル(耐熱セラミック)にも使われている物質だという。道理で優れた坩堝になるわけだ。 研究グループの代表は「当時の陶工は『ムライト』という物質の存在も知らなかっただろうが、経験によってこのハイテク物質の効果を知っていたのだろう」と述べている。このムライトはドイツではバイエルン北部や西部のアイフェル高地で産するカオリナイトの化学変化から出来るらしいが、ヘッセンの坩堝に含まれていた土はどこから来たのだろうか。 ヨーロッパでセキ(火石=火偏に石)器(日本でいうと須恵器や備前焼のような、無釉・高温で堅く焼き締めた焼物)が広く普及するのは12世紀くらいだと思うが、それと同時代に発達したパイロテクノロジー(火の技術)である。この時代の発達はどうしても十字軍など西アジアとの交流をその背景に考えてしまうんだが、あいにく肝心の西アジアでのこの時代の研究が進んでいるとは言い難い。 えーと、この記事の何が気になったかというと、この研究代表者がマルコス・マルティニョン・トレスというロンドン大学の先生(といっても僕より若そうだが)で、去年僕が参加したロンドン大学でのワークショップの世話人だった、ということなんですがね。 この人「考古学者」と紹介されていて、「考古学者は土をいじるだけではない」と付属写真のキャプションについている。こうした化学分析なくして現在の考古学は成り立たないのは事実だが、「考古学者」という言葉の響きから一般がイメージする像とは随分違うだろうなあ、と想像する。かくいう僕もロンドン大学の「考古学研究室」を訪れて地下にある巨大な何かの分析機器を見たときは、ドイツとの違いに随分と驚いたものだったが。 日本でも多くはそうだろうけど、イメージとして「考古学研究室」というと古ぼけた本が並んでいて、棚には土器片とか骨とか石造物といった怪しい物体が入った点箱(発掘現場で出土遺物を入れておくプラスチック製の浅い箱。マージャンの点棒を入れる箱の大きなもの)が並んでいる、というものだろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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