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「歩きつなぎの旅」の記録

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2019.07.11
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2019年07月11日(木)曇


このところ毎日梅雨空。予報によると今日の東京は、夜になってから降りだすらしい。今回歩くのは、台東区の谷中7丁目。09:20 谷中霊園 、【 東京歩きめぐり 第141回 】を歩き始める。

谷中7丁目の大半は「谷中霊園」が占めている。かつては感応寺(現在の天王寺)の寺域だったが、1874年(明治7年)明治政府が没収。東京府管轄の公共墓地として開設された。霊園には天王寺霊園と寛永寺霊園も含まれる。



日暮里駅南口の「紅葉坂」の名前は、坂道周辺の紅葉が美しかったことに由来するというが、現在そのような風情はない。「天王寺」を訪れる。江戸時代には幕府公認の富くじ興行が開催され、目黒不動・湯島天神と共に「江戸の三富」として賑わった。境内の「銅造釈迦如来坐像」は 1690年(元禄3年)鋳造。



「芋坂」の坂名は、付近で自然薯(山芋)が取れたことに由来するともいわれる。「御隠殿坂(ごいんでんざか)」の坂名は、かつて坂下にあった御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)へ通ずる坂道だったことに由来する。両坂道共、JRの線路により途中から消滅している。



谷中霊園をめぐる。「渋沢栄一」墓所。実業家。墓石には「青淵渋澤栄一墓」とある。青淵(せいえん)は雅号。2024年から新紙幣一万円の顔になる。「横山大観」墓所。日本画家。日本美術院の創立に参加した。



「天王寺五重塔跡」に立ち寄る。五重塔は 1644年(寛永21年)に建立されたが、1772年(明和9年)目黒行人坂の大火で焼失した。1791年(寛政3年)に再建された五重塔は、震災・戦災の被害を免れたが、1957年 放火により焼失した。現在は礎石だけが残っている。



五重塔跡の隣りは「天王寺駐在所」。山手線の内側にある駐在所は、2ヶ所だけらしい(もうひとつは品川区の長者丸駐在所)。交番は警察官が交代で勤務するのに対し、通常 駐在所は警察官とその家族が住む官舎を兼ねている。



「徳川慶喜」墓所。江戸幕府最後の第15代将軍。初代家康から14代家茂までの墓所は日光東照宮と輪王寺・増上寺・寛永寺にあるが、慶喜の墓所は谷中霊園にある。10:20 谷中霊園 、【 東京歩きめぐり 第141回 】はここで終わり。


谷中霊園 → 谷中霊園 : 3.2 km






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Last updated  2019.07.12 13:18:30
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