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「歩きつなぎの旅」の記録

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2024.11.13
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2024年11月13日(水)快晴


秋晴れ。乾いた空気。微風。歩きめぐり日和である。今回歩くのは、嘉永7年(1857年)板「目黒白金図」のうち、現在の港区白金3~6丁目に当たる地区。07:40 四之橋(しのはし)、【 江戸切絵図歩きめぐり 第65回 】を歩き始める。



切絵図の四之橋南詰に「狐鰻」とある。ここには鰻の蒲焼の有名店があった。蒲焼屋が店を構える以前は、狐が化けて買いに来るほど美味しいと評判の「狐しるこ」の店があった。しるこ屋が移転した跡地に、狐の名を引き継いで店を出したのが狐鰻だった。明治時代まで営業していたという。



「雷神山児童遊園」を訪れる。解説板によると、応徳年間(1084~87年)に疫病流行を鎮めるため雷神を祀った雷(いかずち)神社が建てられ、以来この地は雷神山と呼ばれるようになった。切絵図には「イナリ」とだけ記されている。戦後 祭神は近くの白金氷川神社に合祀され、跡地は児童遊園として生まれ変わった。



切絵図に「松平十郎麿」とあるのは、岩見国浜田藩松平家(親藩)の下屋敷。御三家水戸藩の9代藩主徳川斉昭の十男に生まれた十郎麿(幼名)は、弘化4年(1847年)浜田藩の養子になって4代藩主を継ぎ、武聰(たけあきら)と改名した。十郎麿の異母兄の七郎麿(斉昭の七男)は、のちの15代将軍徳川慶喜。現在、浜田藩下屋敷の跡地は聖心女子学院のキャンパスになっている。



切絵図に「猩蕎麦」とある。猩は猿に似た想像上の動物だが、ここでは狸を意味する。この地にあった蕎麦屋が狸に化かされて木の葉のお金で蕎麦を食べられたという伝承が、猩蕎麦の名前の由来とされる。店の前を流れる古川に架かる橋は「狸橋」という。



蕎麦屋は明治時代初期に廃業したが、福沢諭吉が跡地一帯を購入して別邸を建てた。諭吉が取得した土地の一部には、現在 慶應義塾幼稚舎が建っている。名門幼稚舎が高台にではなく、川沿いの低地に建っているのを不思議に思っていたが、こういう経緯によるものだと知って納得した。08:40 狸橋 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第65回 】はここで終わり。


四之橋 → 狸橋 : 4.4 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 230.3 km )






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Last updated  2024.11.14 08:46:15
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