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大学院の授業ではないのですが、400円なり、を払って地中海学会の連続講演会を聞きに行ってきました。 ピサというと、ガリレオが落下の実験をした「ピサの斜塔」くらいしか知識がなかったのですが、どっこい実はフィレンツェなんかよりずっと古い都市国家で、ゲルマン民族の大移動の影響でほかの都市国家が機能を失った時期もちゃんと持ちこたえて、都市としての機能を保持したというつわものなのだそうです。 十字軍時代(11世紀以降)も勢力を保ち、コンスタンチノープルに「ピサ人居住区」があったほど。 しかしジェノバとの戦争に敗れて以降、徐々に衰退し、結局フィレンツェに従属することになります。最盛期は11世紀半ばから14世紀末までと、決して長いものではありませんが、その気位の高さは並大抵ではありません。 21世紀の日本人の感覚からすれば、そこまでやるかね、といういささかげんなりする振る舞いですが、ピサはこのときなんと神聖ローマ帝国のサイドに立って、フィレンツェなどのローマ教皇庁派と激しく対立していたという地政学的背景があったのでした。 文化・芸術のの話が更に続き、非常に知的興奮に満ちた時間を過ごすことができました。この辺はまた別途お話します。 最後に、ではなぜ、フィレンツェと違ったのか、なぜ、ピサには「メジチ家」が出なかったのか、と質問しました。 先生・・・児嶋先生という上智大学の専任講師の方です。若くて美しい方です・・・は、政治史はご自分の専門ではないと謙遜しながら、この当時のイタリアの都市国家は基本的にレプブリカ、民主国家で、フィレンツェのメジチ家のほうが異例であること、ピサの場合は更に有力市民は商人階級であり、国家自身の凋落とともに勢力や財力が縮小する過程にあったかれらの間に内紛が絶えなかったことが、フィレンツェの介入を容易にしたこと、などを理由に挙げてくださいました。 大学4年の夏、卒論研究をサボってヨーロッパ貧乏旅行をしたとき、フィレンツェには3日もいたのにピサにはとうとう行かずじまいでした。物を知らないことは悲しいこと、徒然草に言う「持つべきは先達」という諭しも実感しました。
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Last updated
2006.11.15 23:50:29
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