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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.01.03
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カテゴリ:幽霊
連載を始めます。乞うご期待!

幽霊         
                           朝吹龍一朗 

第一回

 初めての欧州出張は、アエロフロートのイリューシン62だった。当時のソ連がボーイング707の対抗として開発したという噂のある、尾翼横にエンジンを持つしゃれた飛行機なのだが、どういうわけか上空に行ってもすごい騒音が続いていた。やれやれこの大音響の中をとりあえずモスクワまで16時間かと思うと、29歳の若さとはいえ森之宮公敏(もりのみやきみとし)はちょっとうんざりしかけた。その途端、天井から水滴が首筋に落ちてきた。空調の脱湿機能がうまく働かずに結露しているのだが、無事帰ったらソ連のジェット機は雨漏りがするのだと会社で冗談の種にしようと思った。昭和61年10月のことだった。


 エコノミークラスとはいえ、さすがソ連の太っちょを乗せるのが主目的と思われるシートの前後は国内線に比べると少し広めに感じた。もともとそんなに大きくない森之宮にすれば、発表用のオーラルペーパー以外に退屈しのぎに持ってきた山田風太郎の『人間臨終図鑑』や吉本隆明・栗本慎一郎の『相対幻論』などを詰め込んだバッグを前の座席の下に押し込んでも更に足元には余裕があった。

 飛行機だって国内線なら何度か乗ったことがある。まだ時々爆弾が仕掛けられたりして少々物騒な雰囲気もあった成田だが、空港としての機能はちゃんと果たしていた。秋の終わりのターミナルは休みでもないのに意外なほど混んでいて、アエロフロートの面倒を見ている日本航空の窓口には行列ができている。せっかくだから座席指定では少々きついのを我慢してでも窓側を取ろうと思ったら、指定はないという。乗った順番に好きな所に座るシステムだそうである。

 それなら早く行くしかない。森之宮の高校受験の時も大学受験の時もソ連に長期出張していて相談相手になってくれず、母親から「親としての責任を果たさなかったでしょ」と事あるごとにいびられている父親からのアドバイスは、『免税店でブランデーを買っていけ』というものだった。出掛けにそのための小遣いをくれたのは母親だったが。

 3千5百円なりを払ってカミュのナポレオンを仕入れ、さっさと27番ゲートに向かおうとすると、一緒に出張することになっている河野課長と常田部長とばったり出会った。長旅を前に律儀にも背広姿のお二人は、聞けば二人ともファーストクラスである。森之宮は平社員だから当然エコノミーなのだが、VIPルームというものがあってファーストクラスの客はそこでただで酒が飲めるという。しかも上等なコニャックやら葡萄酒やらである。簡単な昼食も可能らしい。おまえも来いと誘われたのだが、自由席が頭から離れない森之宮はそれを苦労して断ってゲートに急いだ。

 カシミアのセーターの上にサファリジャケットを引っかけただけで来ている自分の服装はお二人とは思いっきりミスマッチで、もしかしたらサラリーマンとしてはまずいんじゃないかという反省ともつかない気分がよぎったが、これから先の負荷を考えれば、今はリラックスしておくに限ると思い直した。

 今回の目的地はベルギーのゲントという聞いたこともない町である。現場実験の成果をまとめて国内の学会に発表したものが、いわゆる優秀論文賞になり、国際学会の招待講演にノミネートされたのだ。実質森之宮一人が泥んこになってテストし、まとめたものなのだが、この業界の習慣で、一種の指導者としての位置づけで上司の名前を連名で掲げることになっている。さきのお二人はそのおかげでいわば大名旅行ができるわけだから、森之宮にはちょっと甘いのだろう。

 実際お二人にはプレゼンテーションの義務もどこかの視察もない。完全に森之宮の付き添いである。その代り、お二人にはゲントからブリュッセル経由でお帰りいただき、週末をはさんで翌月曜日以降、森之宮一人は欧州の主要研究機関を訪問してくることになっている。

 さすがに2時間も前だとゲート周辺は閑散としていた。日航の地上係員以外に、どう見ても100キロはあってスチュワーデスはできないだろうと思われるアエロフロートの係員もいる。3人ほどなのだが、揃いも揃って0.1トンである。ロシア通の父親に言わせると、若いうちはみな痩せていて本当に美人なんだけどなあ、ボルシチが悪いのかなあ、30歳を越えるとほぼ例外なく太りだすんだ、とのことだ。とするとこの3人はみな三十路を遥かに超えているのだろう。

 できるだけゲートに近い、殺風景なソファーに腰を落ち着け、ページのレイアウトからしてスノッブの塊のような相対幻論の饒舌に1時間も付き合うとさすがに飽きてくる。かといって山田風太郎を取り出して森之宮と同じ29歳を紐解くと、いきなり吉田松陰である。30歳には木曽義仲、源義経などが居並ぶ。これも自分に引き比べればいささか陰々滅滅たる気分にならないとも限らない。これは持ってくる本を間違えたかと後悔しかけたころ、すでにだいぶ出来上がっている上司二人が顔を見せた。

 やれやれ、これから1週間近くこの調子で行くのかと思うと、ゴールデンウィーク中ずっと騒いでいたチェルノブイリ原子力発電所の事故よりも厄介な道中になりそうな気がしてだんだん滅入ってきた。あろうことか、お二人ともフランス語はおろか英語さえ覚束ないらしい。ますます本の選択を間違えたと思った。

                          (続く)





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Last updated  2009.01.03 10:45:23
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