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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.01.11
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カテゴリ:幽霊
  第5回

 最終日は9時から工場見学があり、戻ってきてすぐ閉会式のようなものが行われた。ユーモアがあったとか、最先端技術の紹介だったとか、いろいろ面白いネーミングの賞が与えられたあと、最優秀論文賞が発表されるという。これだけはこの学会の正式のアワードだということで、さすがに場内がざわつく。やがて告げられたのは、最優秀新人賞および最優秀論文賞、ミスターシュラインインフォーレスト、森之宮だった。

 周囲にいた見ず知らずの大男たちが、160センチそこそこしかない森之宮を目ざとく見つけて胴上げする。巨大なシャンデリアが目の前に迫るほど高々と舞い上がった森之宮は、新調したばかりのメガネが飛ばないように左手で抑えながら、それでもヨーロッパ人にこんな習慣があったのか、と思っていた。

 ちゃんと受賞スピーチでは上司お二人を壇上に上げ、この二人のご指導の賜物です、と文字どおり持ち上げておいたので、その後の昼の簡単な立食パーティーの間じゅう、お二人は上機嫌だった。もともと英語は会話の経験が少ないだけで、かなり難しい文献もふだんから読みこなしているのだから、決してできないわけではないのだ。この頃になると耳も口も英語慣れしてきていたらしく、そばで聞いていてもあまり違和感のない英語をしゃべるようになっていた。もう安心だ。森之宮は受賞のお礼も兼ねてお二人を置いてパーティー会場をひとめぐりすることにした。

 金曜日である。そして来週はM**市にある世界的に有名な研究所を訪ねることになっているという話をした。週末はその道中にあるN**市というところにある城塞のてっぺんにそびえる古城を改装した、N**城というホテルに宿泊すると告げた。日本の同僚たちみなに「幽霊が出るぞ」と冷やかされたのを思いだした。

 同じことを今回の国際学会で知り合った、その道では世界的権威でありながら結構茶目っけのある大先輩達にも言われた。N**の城塞(シタデル)は、「ヨーロッパでもっとも重要な要塞」だそうで、中には俺も泊まったことがある、夜中に目が覚めるとがちゃんがちゃんと鎧の音がした、などと言うヤング博士(と言ってもおじいさんだ)もいた。ただでさえ細長い顔の顎をわざと左手で引き下げながら、ムンクの「叫び」のような形を作り、白目をむいてみんなを見回す。怖いと誉めてさしあげたいところなのだが、昼間の舌鋒の鋭さとの落差にみなとまどうやらおかしいやらで、結局「ギャー」のあとに「ッハッハッハ」と笑いがくっついてしまう。

 今回のチェアマンはアメリカ人で、弟がメジャーリーグに在籍したことがあり、その上なんと来日して日本のプロ野球球団と試合をしたことまであるのだという。それでこの学会ではいわゆる日本式の「胴上げ」が流行しているのだと、事務局のソフィーさんが教えてくれた。モーガン・スタンレー・デービスというそのチェアマンは、想像通りの大男で、2メートル近い体を折り曲げて森之宮に握手を求めてきた。君の研究は実にアグレッシブで、よくあんな危ない、というのは失敗の確率が高いという意味だが、実設備を用いた試験を上司が許可したものだ、まったくBrass Ballsだというのが最優秀アワードの受賞理由だそうだ。空っぽの助手席を横目で見ながら学生時代にFENを聴き続けた成果で、モーガンの言うBrass Ballsが「度胸」という意味であることはすぐにわかった。
「上司の勇気(courage)のおかげです」
 と言うと、モーガンは一言、グレイト、とささやいて立ち去った。

 簡単な昼食のはずだったのだが、時計はすでに2時を回っている。飛行機はパリ発なので、そこまで上司お二人を帰すためにはそろそろ時間だろうと思っていると、加藤さんが既にお二人を急かしている。初めて作った裏表のある名刺、表に日本語、裏には英語の名刺はあと30枚くらい残っている。70枚は配った勘定だが、もう少し時間が欲しい。森之宮はそう思ったのだが、とりあえず一緒にブリュッセルまでは戻る約束なので、仕方なく心を残しながら会場を後にした。

 再び30分の短い列車のあと、常田河野お二人をパリ行きのTEE(ヨーロッパ横断特急)に乗せ、10分後にデュッセルドルフに帰る加藤さんを見送って、あと20分、N**市行きのインターシティを待った。午後3時を少し回ったくらいだが、風が出てきたようで、思わずコートの襟を立てるほど冷え込んできた。まだ明るい。ブリュッセルの中心街からは少し南に外れているこの駅(ブリュッセル南駅)からは、すべて石造りではあるが決して美しくはない、実用一点張りの街並みが見えるだけで、これから一人で1週間近くヨーロッパを転々としなければならないことを思うといささか気が滅入るのも事実だった。

 ソフィーさんにもらったアドバイス通り、1等車を選んだのは正解だった。1時間と少しの乗車なのだが、大勢でいると気がつかないようなことが不安になる。2等車の乗客はどことなく怪しげで、森之宮を文字どおり取って食うのではないかと思われるような毛むくじゃらの大男や、魔法をかけられてネズミに変えられてしまうのではないかと背筋がぞくっとするような魔女めいたおばあさんが並んで待っている。対照的に一等車の乗り口には森之宮と同じようなネクタイ背広のビジネスマンが列を作っている。

 だんだん暗くなる車窓を眺めていると、1時間はあっという間に過ぎ、車内放送などないから停車駅の看板に目を凝らしていてやっとN**駅を見つけた。ドアはボタンを押さないと開かないのだが、これはずいぶん手前から降りる人の動作を見ていて理解していたので、ホームに完全に停車する直前に、通を装ってドアを開けることができた。

 堂々とした駅の階段を降りると、左から右への一方通行の道を1本渡ったところにタクシー乗り場があった。歩いても30分くらいということだが、ええい、どうせ会社の経費だ、ここは奮発してタクシーを選ぼうと考えた。ものの10分、坂道を登るとシャトー・ド・N**だった。

 さすがに一流ホテルなので、こんな田舎でも完全に英語が通じる。駅からのタクシーの運転手は全く英語が駄目だったので少し心配していたのだが、取り越し苦労とわかって安心した。ところが鍵を渡すのと同時に夕食をどうするかを聞かれた。もう遅いから町に降りるならタクシーを呼んであげる、ホテルのレストランで食べるなら予約がいる、ただし6時から9時まで。

 もう遅いって? まだ宵の口ではないか、ヨーロッパ人は夜更かしと聞いたし、ゲントでも皆遅くまでわいわいやっていたのに。終わりも9時とは。そう思いながらエレベーターで1階(日本でいえば2階)に上がった。

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Last updated  2009.01.11 11:46:22
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