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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.01.12
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カテゴリ:幽霊
 第六回

 ずいぶん早いラストオーダーだと思ったが、身支度をして6時に降りてくると、レストランといっても街を見下ろす窓際に4つ、柱をはさんで6つ、それに奥の壁沿いに5つ、合わせて15テーブルしかない小ぢんまりとした店であることがわかった。金曜日なのに誰もいない。実際はあとから6組の老夫婦が現れたのだが、それにしてもこれだけ空いていれば6時から9時までの営業というのもわからないでもないし、ヨーロッパ人のメンタリティから言ってもそれが相応しいのかもしれない。

 案内された席は柱のそばの、決していいところではなかった。一種の差別かなあ、と思いつつ、うやうやしく寄り添ってくるギャルソンが差し出すメニューを見て眼の玉が落ちるかと思った。この値段ならこれだけ閑散としていてもおかしくない。普通の人なら1年に一度、よほどの記念日にしか来ようとは思わない値段だった。森之宮は小さくため息をつきながら、「小さいメニュー(定食)」というのを指さしながら、それでも
「ジビエはないか」
 と英語で聞いた。
 下の町ではすでに提供しているところもあるが、当店では11月から加える予定です、という答えが返ってきた。ジビエとは、野生のウサギやシカやイノシシなどを猟銃で撃って取ってきたものを言う。日本を発つ前に読んだ本の中に、秋のヨーロッパの味覚としてこれに勝るものはない、と紹介されていたものだ。そういうわけで「小さいメニュー」のメインディッシュはアヒルだと言うので、ソムリエにワインを選んでもらうことにした。本当は1本は結構多いのだが、ひとりで旅する限り、仕方ないことだと割り切って、コース料理とほぼ同じ値段の1976年もののブルゴーニュの赤を選んだ。鳥料理に合わせて少し軽めである。


 前菜を運んできたのはアンジェだった。見たこともない美人で、知的で、英語も上手で、フランス語も当たり前だが上手で、はにかみ屋で、ともかくまだまだ100も200も褒め言葉の形容詞が連ねられるほど森之宮は一瞬で夢中になった。

「belle femme(美人)」
とささやいた。彼女は微笑んだ、ように見えた。すると、彼は君のことを気に入ったみたいだから、よく注意して見ているように、とギャルソン頭が言っている。英語のうまい丸顔の人のよさそうな中年男だ。そのおかげでなにくれとなくアンジェが面倒を見てくれることになった。ワインが少なくなれば、パンを食べてしまえば、必ずアンジェが給仕に来た。全部で7組しかいないのだから楽なものかもしれないが、それでも森之宮一人にサービスしてくれているように思えて仕方がない。

 目をあげると窓が見えるのだが、外はやや荒れ模様で、時折大きくなびく木が園燈をさえぎり、黒い模様が窓枠と交差する。

 周りにはそろえたように60過ぎの夫婦が席を占めている。一目で裕福とわかる身なりである。どのテーブルにもワインが2本くらい並んでいるので、いくらなんでも車を運転して市街地まで戻るとは思えない。すると今晩の宿泊客は森之宮を含めて7部屋分ということになろうか。あとでN**市の観光局発行のガイドパンフレットをみると、市内に3軒しかない4つ星(この当時ベルギーでは星は4つが最高)ホテルのようで、たぶん一般住民がおいそれと食事や宿泊に来るところではないだろうという推定は当たっていたようだ。

 レストランの中は老人たちの立てるナイフやフォークと皿が当たる音以外に滅多に耳に入るものはない。厨房との境は開け放ってあるのだが、そちらの物音もほとんど聞こえてこない。それだけに時折交わされる彼らの会話は、別に耳をそばだてているつもりはなくても、森之宮の意識の表層をゆらゆらと横切っていく。

 どこから来たのだろうか。中国人だろうか、それとも日本人か。ずいぶん若くて、しかも一人でこんなホテルに泊まるなんて、マンダリンじゃないか。声が大きいよ、いや、フランス語はあまり分からないようだから大丈夫じゃないか。たしかに、日本人は英語ばかりで、大陸の言葉を理解しない、いや、大陸の物の見方を知らないのではないか。島は島しか理解できないのかもしれない、しかし我々はブリテンを理解できるぞ。あのギャルソンヌは彼のことばかり気を使っている、きれいな子。何か手帳に書き付けている、ミシュランかな。いや、ミシュランなら少なくとも二人で来るらしいよ、でもさっきからシェフがそわそわと厨房から顔を出している、気になっているに違いない・・・

 まるで『聞き耳頭巾』だ。物心つき始めた頃母親が布団の中で話してくれたおとぎばなしのようだ。彼らの本当の本心は別だが、少なくともお互いにしゃべっていることはほとんどすべて筒抜け状態になっている。『聞き耳頭巾』をかぶった男が、小鳥や小動物たちが目撃した真実を言い交わすのをこっそり聞き取って自分の役に立たせるストーリーを聞いて、子供心には少しずるいような気がしたものだが、こうして自分がその立場に立ってみると、こんなに有利なポジションはざらにないことが実感できる。森之宮自身が歳を取って、3歳の子供より無垢でなくなってしまった証拠かもしれないと思いつつ、しかし同時に加藤さんのアドバイス、あまりフランス語ができることを見せないようにしなさい、ということの真意がこんなところにあったのかとようやく思い当たった。そういえば加藤さんはドイツ語もフランス語も本当はできるし、切符を買ったりレストランで何か交渉したりするときは流暢にそれらをあやつっていたけれど、国際会議ではほとんど英語しか使っていなかった。森之宮同様、『聞き耳頭巾』状態だったわけだ。

「小さな定食」のはずなのだが、こうして耳に入ってくる、ある意味で無遠慮なささやきや、さっきから片時も心と眼を離せない美女のギャルソンヌの影響か、メインディッシュのアヒルのフィレはとうとう四半分を食べ残してしまった。柑橘系ベースで野ぶどうとパイナップルのシロップ漬けが一緒になっているのになぜかあっさりしてほどよい甘味のソースがかかっていて、付け合わせの新ジャガイモともよくマッチしていたのだが、いかんせん量が多い。

 すでに何組かの客は帰っている。あと3組くらいしか残っていなかった。それほどこの一皿とはだいぶ格闘していたらしい。アンジェが見かねてフィニー?(食べおわりましたか、と言うほどの意味か)と小さな声をかけてきたので、同じように小さな声でウィ、と答えた。

 レストラン中の客がさわさわ、という音でもしそうな感じで森之宮に視線を送る。ほどなくギャルソン頭が来て、お気に召さなかったか、と聞くので、単に胃袋が小さかっただけで、味は上々だったと、注意深く英語で答えた。ちょっと口をすぼめて不満を表しながら、でもそれ以上何もいわずにギャルソン頭は引き下がり、入れ替わりにアンジェが来た。 

 アンジェというのはあとでわかった名前である。このときは森之宮はずっとベルファム(belle femme)と呼び続けていた、ただし小声で。ちょうどこのとき、時間的には9時を過ぎる少し前に、最後のデザートとしてミラベルという梅の一種から作られたリキュールを凍らせたシャーベットを運んできたのだった。

 思い切って言った。
「9時に終わってしまうということなので、仕事が片付いたら部屋に来てくれるとうれしい」
 胸がドキドキしている。顔を上げられない。目を合わせるのがこわい。

 ギロチンが落ちてくる瞬間を待つような間があって、ほかの客やギャルソンたちに聞こえない程度の小さな、でも森之宮にだけははっきりと聞こえる声で、それも思いがけないことに日本語で、答えが返ってきた。


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Last updated  2009.01.12 15:19:17
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