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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.01.24
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カテゴリ:幽霊
  幽霊    第八回
それなら行こうと出かけることにした。森之宮の部屋のある1階から地上階に降り、更に地下1階に降りると、従業員用の出口から外に出ることができた。風は収まっていたが気温はかなり低く、東京でいえば1月か2月の夜という感じだった。寒さだけがふるえを催させているのではない、森之宮だけでなく、言い出しっぺのアンジェすら、ちょっと怖いかもしれませんね、と小さいが高い、かすれた声でつぶやいた。コートのポケットの中で左手をきつく握ってくれるのがうれしいような、誇らしいような気がしている。

 ホテルから城塞に向って急な坂道を降りていく。ほとんど明かりはない。日本なら街の灯が曇天に映えて、その照り返しが暗い一帯をもぼんやりと明るくしてくれるものなのだが、眼下にひろがるN**市のたたずまいは中世の城下町ならこうだったのではないかと思わせるほどぽつんぽつんと街路灯が目につくくらいで、面としての明るさは期待すべくもなかった。空に星はない。

 案の定、空から白いものがちらちら落ちてきた。切れそうになっている蛍光灯の街路灯の下でそのいくひらを手に受けながら、今年初めての雪です、幸せに満ちた天から、地上にも幸せがあるのかどうか、わざわざ私たちに聞きにきたのです、何と答えましょうか、とアンジェが言った。
「祝福でしょうか(Blessing us?)」
 歩き続けながら森之宮は言った。声が枯れているがもう気味の悪さはない。アンジェが握りしめる左手はじっとりと汗をかいている。思いのほか背の高いアンジェの横顔がかすかな明かりの中にほの白く浮かびあがる。ギリシャ彫刻のようにすべすべして、まっ白で、美術館にあるように美しい。両側は落葉樹の並木が続く。すらりと伸びた木が一本もないのが不思議と言えば不気味な気もした。

 アンジェにとってもこんな夜更けの散歩は初めてのようで、昼と夜とではこんなに印象が違うということは、支配原理も違って当たり前でしょう、やはり夜には夜の主張と哲学があると思いませんか、と聞くので、
「仕事原理の昼、恋人原理の夜。これでいかがでしょうか」
 と森之宮は答えた。正直言ってもう少し気の利いたことを言えばよかったと後悔したのだが、アンジェは黙って森之宮の左手を握りなおしてきた。

 城を出た時には気づかなかったが、下に降りてくるに従って地面から湧き出すようにもやが出てきた。そのぶん、すこしだけ温かいような気がする。アンジェは誰に言うともなくフランス語でぶつぶつと独り言をつぶやいている。それは、自分自身の性格を反省するものであったり、同じく今日の振舞いを自己批判する内省であったり、ホテルの従業員たちとのやり取りを反芻するものであったり、また森之宮への印象を語るものであったりした。

 いちいちは答えていられないし、聞き耳頭巾としてフランス語はそんなにできない『お約束』でもあるので、森之宮に言及したところだけ、英語でコメントを返すようにした。サルみたいだけど知性はあるというので、こんな夜更けにこんな戦場であったところを、かすかに血の臭いのするところを歩くのだったら少なくともお化け、ゴーストでないだけでも良しとするべきだ、と答える。また、わざわざ日本からこんな中世の残滓みたいな街に来なくてもいいものだというので、夢でエンジェルが舞い降りた先がこの街だった、よく見たら君だった、と答えた。

 あなたが夢に見たのはもちろん私ではなかったのでしょうが、私にとっても、こんな霧の中を暖かい声の人と一緒に、それも真夜中、こうして歩いているのは一種の奇跡かもしれませんね、あなたがこのままの姿でいてくれることを願います、とつぶやくアンジェの腕を引き寄せようとしたとき、逆に強い力で引っ張られ、そのまま小走りに走り出すことになった。

 雪に濡れて少し滑りやすくなっている石畳の上、城壁と通路が入り組んだ一帯を通り抜けると、ぼんやりと広がるN**市の街を一望に見下ろせる一角に出た。ゆったりと流れる2つの川の合流点の三角形になった部分を占めている。確かに『ヨーロッパで一番』かどうかは別にして、要衝と言うのに相応しい位置取りであることは間違いない。川を越えて町に向って城壁には規則的な間隔で銃眼が開いている。攻めのぼってくる敵軍を迎え撃つためのものに違いないのだが、時には領民に向って火を噴いたであろうことは間違いない。同じことをアンジェも考えていたようで、昨日まで親しくおしゃべりしていた人たちに向って殺意を抱くことができるのが人間なのですね、と小声で言った。声を出して同意を表す代わりに、すっかり暖かくなったので森之宮のコートのポケットから出してつないでいた手をそっと握りなおした。

 Me**川とSa**川の合流地点が見える『城の足』と呼ばれる、城壁の先端部分まで来ると、アンジェが何かを探すようにきょろきょろし始めた。ええと、Sa**川の方に向いて、下からいちに、さん、四段目の、左から十一番目。これです、これを見てください。この石はいつも濡れているのです、きょうは雪でどれも濡れてしまっているのでわかりませんが、どういうわけか、夏の強い日差しの中でもこの石だけはしっとりと濡れているのです。なぜだかわかりますよね、とアンジェが水を向ける。空いている左の手を目の上にかざし、首をかしげて森之宮を見る。黒いコートの上に無造作にまいたカシミヤの白いマフラー、もっと白く美しい顔。答える前にじっと見つめたいくらいなのだが、気を取り直して少し真面目に答えてみる。

「ここで何か惨劇が起きて、N**市にとって大事な人が無念を飲んで亡くなったのかな」
 森之宮自身があまりに陳腐だとに思ってしまった想像力にそれでもアンジェは笑わずに、そうなのです、ドヴィルパン男爵とその娘がここで卑怯にも裏切りにあって殺されたのです、と答えた。
「すると、この石をないがしろにすると亡霊が出てきて追いかけられるのかな。蹴っ飛ばしてみようか」
 森之宮が右足を引いてフリーキックのしぐさをすると、アンジェがきゃっと小さく叫んで抱きついてきた。頬と頬が、胸と胸が、触れ合う。しばらくそのまま温かさを感じていたかったのだが、何かに気がついたようにアンジェのほうから身を離した。

 アンジェは無言で森之宮を見ている。思わず目を伏せた。それを潮に、城壁の西側をたどりながら、かなりの高みになってしまったホテルを目指してゆっくり戻り始めた。すっかりご不興を買ってしまったようだ。二人とも無言で、しかし手だけはしっかりつないだまま、いつの間にかほとんど10メートル先も見えないくらい濃くなってしまった霧の中を歩いて行った。ちらちらと雪は少しだけ、しかし止むことなく落ちてきている。

 1時間以上散歩してしまったようだ。気温はどんどん下がっているが積もるほどではないらしく、路面は黒いままだが芝生はうっすらと白くなっている。私たちはこんなに息を吐いたでしょうか、この地面の白さの原因は私たちにあると思います、とアンジェが左に体をひねって下から森之宮を見上げるようにして言った。見下ろすアンジェもきれいだと森之宮は思った。すっかり機嫌も直っているようだ。

 ホテルの前の噴水が見えてきた。まっすぐ登れば正面玄関だが、二人は厨房に近い、すなわち玄関から左へ回ったところにある通用口から出たので、そちらへと向かう。

 と、出る時に使ったドアが開かない。アンジェが一生懸命ドアノブを回すのだが、固くさびついたように動かない。締め出されてしまった、と振り向いたアンジェが泣きそうな顔をする。どうしよう、あの石、蹴ったでしょう、だからです、きっと後ろから亡霊が追ってくるのです。ああ、わたしたち、もうおしまいです。その時、やや遠くでくぐもった、しかし明らかに金属がぶつかり合う音がした。鎧の擦れる音が頭に浮かんだ。


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Last updated  2009.01.24 14:08:45
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