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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.02.15
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カテゴリ:幽霊
 第十一回


 結局この晩も深い眠りに落ちることなく、欲求不満の仮眠のような時間を過ごした翌朝は日曜日である。どうせ眠れないのだからと若さに任せて7時にレストランへ降りて行くと泊り客はおろかギャルソンすらいない。一応ビュッフェとしての体裁を整えるだけの料理は出ているのだが、取り分けるためのカトラリーが用意されていない。入口であきれているとやがてコックさんの帽子をかぶったシェフが出てきてフランス語でどうぞどうぞと言う。

 どうぞどうぞと言われてもナイフもフォークもないぞと言い返すと、奥からがちゃがちゃさせながら若い少し太ったギャルソンヌが籠ごと食器を持って現れた。その籠の中からよく磨かれたステンレスのナイフとフォークと小ぶりのスプーンを取り出し、決してまずい料理ではないのだが、昨日からのこともあり、ほんの20分ほどで朝食を切り上げ、N**市の中心街へ向かってシタデル(城塞)の中を降りて行った。すでにかなり明るく、上天気が空いっぱいに広がっている。

 博物館や美術館が開く時刻ではないので、まずは教会を目指して探検を始めることにした。目抜き通りともいえる高級ブティックが軒を並べる一角には12世紀に基礎ができたという聖ヨハネ教会がある。しかしこの建物は繁華街のど真ん中にあることも災いして規模を拡大することができなかったようで、非常に不規則な形をしており、森之宮は入口すら見つけることができずにその場を後にした。

 次に向かったのは聖ルー教会で、こちらは8時半だというのに中で飾り付けをしている。昼から展覧会だそうで、とてもゆっくり瞑想に浸る雰囲気ではない。ここもそそくさと離れることにした。

 最後に向かったのがこの地域(司教区と呼ぶらしい)で一番大きな教会、司教座聖堂でもある聖オーバーン教会である。ホテルでもらったN**市のガイドブックによると、18世紀にバロック様式で建てられたベルギーを代表する建築、とのことだった。

 正面入り口はかぎが掛かっているらしく、押しても引いても動かない。仕方なく入口左にかかっている木製の看板を見ると、ミサの時刻が記されているのに気づいた。日曜日は8時半、10時、11時半、それに18時半のようだ。しかし8時半と11時半は糊で貼った紙がはがれたような跡がある。もしかすると、敬虔と言われるフランス系カトリック教徒も最近は朝早くからのミサには来ないのかもしれないと思って内心微笑したくなる気分になる。

 しばらく待っていると9時である。教会の中からごとごとと重そうな音がして、やがて扉が外に向って開いた。出てきたのは背の低い東洋人で、体を入れ替える感じで中に入った森之宮を追い出しにかかる。おむすび顔で目が吊り上がっている。なんとなくいやな感じがする。英語で見学してもいいかどうか問いかける森之宮に、ものすごく訛りのあるフランス語で、信者以外は来るな、と言った。なんとなくではなく、完全にいやな感じになった。これから再びドアを閉めて掃除を始めるのだという。

 釈然としない気分でドアを離れ、広々作ってある階段をゆっくり下りた。あいつ、お化けじゃないかと思った。西洋の、いや、中国の。何と言ったか、そう、キョンシー。足のあるお化け、と思った。これでちょび髭かどじょう髭でも蓄えていた日には、まるで漫画だ。さあ、次だ。

 今回の学会発表に出発する前に、学生時代に付き合っていた美大生に電話していくつかアドバイスを仰いだ。美人だったが森之宮とは何も起こらなかった仲だった。久しぶりに聞く声は弾んでいて、物理的な距離を感じさせない明るさが製造現場をはいずり回っている日々の森之宮の暮らしとの心理的な距離をいやでも際立たせた。それを少しだけ我慢して、N**市に立ち寄るならどこへ行けばいいかとたずねると、勧めてくれたのがロップス(Rops)という聞いたこともない画家の個人美術館だった。

 その入口には予想通り10時から18時開場と書いてある。あと一時間、さして広くもない町である。S**川沿いを上流にしばらく歩いて修道院をのぞいたり、その先の「武器庫」(Arsenal)という表示のある細長い建物をぐるりと巡ったりして時間をつぶした。頻繁に目にする犬の糞以外はよく整備された美しい町だ。ほんの20メートル程度しか幅のないS**川は、日本の同様の規模の河川からは想像できないくらい、驚くほどゆっくりと流れている。住民たちの主観はともかく、客観的にはこの流れと同じように時間も過ぎてきたのだろう。

 10時ちょうどにフェリシアン・ロップスの美術館の前に戻った。まだ人通りは少ない。大声で話しながら店先を掃除するおじさんや、ぺちゃくちゃとあまり標準的でないフランス語をしゃべり続けるおばさんたちがぱらぱらいるだけである。

 さて、と。オープンは10時からのはずだが、これまた押しても引いてもドアが開かない。今日は押しても引いてもダメなんだなと思っていると、小さな犬を2匹つれたおばあさんと、同じような体格の犬を1匹だけ連れたおばあさんが二人連れ添って歩いてきた。二人とも一目で幸せな老後を送っているとわかる服装と物腰である。

 森之宮の苦戦を見てとった「2匹連れのおばあさん」のほうが、今日からは冬時間です、とフランス語で言ってから、ああ通じない、とつぶやいた。いかにも東洋人然とした森之宮にはフランス語なんてできっこないと頭から思いこんでいるらしい。

 あまりうまくない英語で言い直してくれる。今日からヨーロッパは冬なのです、だから1時間遅いのです、という。冬時間は11月1日からだと思い込んでいた森之宮はびっくりした。10月の最後の日曜日の朝の2時が再び1時になるのだという。なるほどその方がビジネスアワーが狂わなくていいのかもしれないが、それはそれで面倒だろうなあと思いながら、おばあさんの時計を覗き込んで時刻合わせをしていると、連れていた犬が2匹揃ってそれぞれ森之宮の右足と左足の裾におしっこをかけた。

 あらあら、ごめんなさい、そういうわけで美術館が開くまで1時間あるから、うちでお茶でも飲んで行きなさい。その間にズボンも洗って拭いておきます、と言いながら高価そうなレースのハンカチを惜しげもなく広げて、ポワン、ロゼ、と呼ばれた2匹の子犬の粗相を吸い取ってくれる。

 ロップスの美術館からほんの3ブロックほど離れた所がおばあさんの家だった。通りに面しているアーチをふさいでいる大きな木製の扉を開けると、両側に入口のドアがあり、5メートルほど先には見事な中庭が見える。ちらりと薪が積んであるのが目にとまった。街中でも薪が現役の燃料なのだ。おばあさんが左側のドアを開けて階段を登り始めるので、森之宮はそれ以上中庭を観察する余裕がない。

 踊り場ひとつを過ぎて2階がめざすお宅らしい。犬たちも慣れた足取りで背丈ほどある階段を飛び跳ねあがってくる。ドアを開けて森之宮は思わず靴を脱ぐ気になったが、おばあさんが暗い廊下をさっさと先に行くので脱ぐチャンスを逸してしまった。もちろんそのおかげで妙な恥をかかずに済んだわけだが。

 日本間にして8畳が2つくらいつながった広さの応接間に通される。刺繍で彩られた硬めのソファに座っているとおばあさんがキルトのスカートを持って現れ、手早くズボンを脱がせると再びドアを閉めて出て行った。

 しばらく待っていると今度はコーヒーを持って戻ってきて、あと30分くらい、しみぬきと乾燥にかかるけれど、それでもまだ10時にはならないから心配しなくても大丈夫だという。それだけ言うとおばあさんは森之宮の向かいの椅子に座って口をつぐんだ。

 静かな日曜日、冬時間を勘違いしていたために思いがけず拾った静謐で豊かな時間。

 その安らぎを壊すような勢いで上半身濃紺、下半身白の服装の女性が転がり込んできた。


 アンジェだった。

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Last updated  2009.02.15 18:10:32
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