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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.02.21
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カテゴリ:幽霊
第十二回
どうしてKimiはここにいるのでしょうか、と目を丸くしながらアンジェがしかししっかりした英語で言った。おばあさんは声も出ずに森之宮を見つめている。アンジェとおばあさんを交互に見ながら森之宮は言葉が出て来ない。

 やがて言葉を発したのはまたしてもアンジェである。この人はホテル・シャトー・ド・N**のお客様で、私が給仕しました、だから知っています。するとおばあさんがこの人は私の孫なのです、と森之宮に向って言い、アンジェに向っては、ポワンとロゼがこの人におしっこをかけたのです、と言った。そして、これはサンチュベールのお導きですね、と付け加えた。

 これで3人の緊張がほぐれ、アンジェは勧められる前に森之宮の左隣に微妙な距離をおいて座った。
「サンチュベールとは何でしょうか」
 あまりにも情感のない問いであることを重々自覚しながら、自分にはでも結局これが相応しい問いなんだと納得し、自分を慰めながら森之宮が言った。

 二人の説明を総合すると、サンチュベールすなわち聖ユベール(Hubert)で、N**市の守護聖人であると同時に狩りと動物たちの守護聖人で、今日がそのお祭りの日だという。

 ちょうどこれからサンチュベールのお祭りに出かけるというアンジェの上半身濃紺、下半身白のいでたちは、あらためてみれば昨日と同じ乗馬姿である。ギャルソンヌをしていたときの少し前かがみで猫背にも見える姿勢とは打って変わって、男の目から見てもとてもりりしい。

Galante!(りりしいね) 
Mais non femme galante(でも売笑婦じゃない)
Femme fatale?(悪女、かな)
Je suis la barque fatale? (私は運命の小舟? 「地獄の渡し船」という意味が
あることを後で知った)
 それだけ言うと、とろけるような微笑を森之宮に送り、さっと振り向くなりバタバタと音をたてて走って出て行ってしまった。

 嵐のようでしたね、とおばあちゃん、マダム・ロレーヌがため息交じりに言った。
「ホテルでも逢ったし、昨日もD**近郊の立派な城でも会いました」
森之宮がやや真面目な顔をして答えると、ああ、あの幽霊の出る城のことですか、と即座に訳知りの答えが返ってきた。笑っている。

 かいつまんで幽霊のまねをした話をして、アンジェに知らん顔をされたところまでを遠慮がちに伝えると、ロレーヌおばあちゃんは大笑いしながら、あなたはいい人、Vous etes un bon garcon. と言った。

 そう言うなり、顔を改めて、ああ、bon。なんていい加減な形容詞。散文向き。でもボンギャルソンだから知ってほしい。これからお話しすることは散文ではない。と言ってアンジェのこと、その母親のことを語り始めた。もちろんフランス語である。森之宮はすでに聞き耳頭巾の有利性を捨てている。

 d'enfant hors mariage(私生児)。彼女の母親がフランス人貴族の息子の家庭教師をしていたときにみごもった。父親の子か、息子の子か、どちらの子供かすらわからない。結局父親のほうが認知した。少し前のめりになって歩く。必ずしも姿勢が良くない。本当の貴族ならもっと胸を張って歩いて行けるのに。

 森之宮はこんな深刻な話なのにまっすぐ自分を見ながら語り続けるマダム・ロレーヌを正視できないまま、前にあるティーカップを見つめている。

 明るく育った。さして苦労せずにEcole polytechnique(注1)に入学した。でも、自分の出自を知ったとき、心が、こわれてしまった。Schizophrenieになった。結局、Ecole polytechnique は休学して、こうして静養を兼ね、私のところにいる。母親もEcole normale(注2)出身で、文系だけれど優秀だった。その間にフランス語訳の日本文学――きっかけは川端康成の千羽鶴だった――に興味を持って、日本語の勉強も始めた。そこに、と森之宮の背後の棚を指差した。千代紙でできた、あまり器用でない折り鶴が飾ってあった。

 同じ棚の上にカードケースがあって、中には日本の千代紙が数十枚入れてある。森之宮はマダム・ロレーヌが表情で促すのに従って中から一枚をとり、さっと鶴を折りあげた。何と上手なのでしょう、とおばあちゃんがほめてくれる。こっちは私が折ったのですが、ボンギャルソン、さっきアンジェはKimi、と呼んでいましたね、Kimiの作品を飾ることにしましょう。そう言いながらご自分の鶴を丁寧に開き始めた。

 このOrigami(折り紙)を開いていると、開くにつれて思い出がおぼろ(Vague)になってきます。数々の橋の下を水は流れたのです。(注3)
「ミラボー橋の下、というのはそういう含みがあるのですね」
森之宮が言うと、マダム・ロレーヌはアンジェのように大きい孫がいるおばあさんとは思えないようなつやの肌に少しだけしわを寄せて、Sous le pont Mirabeau coule la Seine.(ミラボー橋の下、セーヌは流れる)アポリネールも知っているのですね、と笑って褒めてくれた。そうなのです、月日は流れ、わたしは残る(Les jours s'en vont je demeure.ミラボー橋の詩の続き)のです。さあ、そろそろロップスの美術館も開館時間です、あなたはここに残ることなく、お行きなさい。

 そう言うロレーヌおばあちゃんの目に老人性でない涙が浮かんでいるのを森之宮は見逃さなかった。そして、その悲しみをいつか共有しようと思った。

 きれいにしみ抜きされたズボンをはいて外に出ると、10時、そう、冬時間の10時、昨日までの11時なのだが、天気が良い割には肌寒い。ロップスの美術館内は暖房されていて、ほんの3分寒風にさらされただけの体に心地よい。まだほとんど観覧者はいない。常設展のほかに、特別に「Arbre(木)」についてのロップス以外の小品を集めた展覧会も開かれている。ドリアードという木の妖精が女性と交合しているような、日本では到底展示できないエロチックな絵である。アンジェに似た若い女性が悶えている絵柄を見つけた森之宮は思わず赤面し、周りに人がいないことを確かめてほっとした。
         
 もちろんそれ以外の主題の絵もたくさんある。一種独特の、しかし確実に高い芸術性と風刺性を併せ持った絵を12時近くまでゆっくりと眺めてからN**市の街並みに戻った。

 さして遠くないところからファンファーレが聞こえてきた。


(注1)Ecole polytechnique:エコールポリテクニーク、理工科学校と訳される。フランス最高峰の大学校。ちなみにフランスでは理系と文系の地位が日本とは全く逆で、たとえば高級官僚にEna(国立行政学院)以外の文系はあまりいない。
(注2)Ecole normale:エコールノルマル、高等師範学校と訳される。高等教育機関の教員の養成機関。日本の教育課程を持つ大学とはレベルも役割も違う。                                
 両校ともフランスを代表する超エリート養成機関。
(注3)フランス人は「いろいろなことが起こった」「いろいろなことが起こるだろう」という言葉の代わりに、「数々の橋の下を水は流れたのです」「これからそのときまでに、橋の下を水が流れるだろう」と言う。(斎藤愼爾)
                               (続く)

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Last updated  2009.02.21 18:34:28
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